DREAMS COME TRUEといえば、圧倒的な歌唱力を誇る吉田美和さんと、多彩な才能を魅せる中村正人さんの2人から成り立つユニットです。
90年代のドリカムは的なしに売れていましたが、2000年代に入ると人気は下火となりました。
その背景には「干されたのでは?」と言う意見もあり、または2人の不仲説から解散の噂が囁かれていました。
ある時期には「ドリカムアレルギー」と言う言葉が流行ったりするなど、まさに波乱の道を言っています。
今日は過去にドリカムが干されてしまった理由と、不仲説の真実、そして”ドリカムアレルギー”と言うものについて書いてみようと思います。
DREAMS COME TRUEは海外進出に拘り干された?レコード会社移籍は掟破り
90年代のDREAMS COME TRUEはオリコンで度々1位を獲得し、大規模な国内ツアー何度も成功させ、まさに日本を代表するバンドユニットでした。
しかし、00年代になると徐々にメディアの露出は減っていきました。
当時、ネットでは「ドリカムって干されてる?」と噂が流れ、その後にメンバーの中村正人さん本人が干されていたことを告白するとファンに衝撃を与えました。
DREAMS COME TRUEが干されてしまった理由に関しては、簡潔に言えば”日本の音楽業界のタブーを犯してしまった”ということです。
中村正人がグラミー賞や500万枚セールスを目標に海外進出を目論む。※お世話になった会社に背く
当時からネット上で”ドリカムが干されてる”との噂があり、その後にリーダーの中村正人さんがインタビューの中で告白し、事実であることが確認されています。
干された発端は、DREAMS COME TRUEが海外進出を本格化さす為に、強引にレコード会社をヴァージンに移籍したことです。
これが強引な移籍が音楽業界のタブーだとされ、その後に干されてしまったということです。
中村正人さんはドリカムが売れ出した頃から海外で成功することを目指しており、「500万枚売ることと、グラミー賞を獲ること」を一生の夢と語っていました。
我々は、イギリスやアメリカから学んだ音楽がこんなふうに日本で消化されたっていうのをアメリカのマーケットに見せたかったんです。
アメリカはその当時ヒップホップが全盛で、ロックもちょっとオルタナになってたんで。
だからファーイーストなアーティストが70年代の伝統的な音楽をやってるっていう、それを持っていきたかったんです。
全盛期の1998年にはアルバム「SING OR DIE」を全米でリリースし、海外進出にもチャレンジしていました。
国内で着実に利益を上げれる時期に差し掛かっても中村さんの海外の夢は続き、海外進出の為に強引にレコード会社をヴァージンに移籍してしまったのです。
中村さんは掟破りで干されてしまったことについて、
しかも義理も人情もなくね。あのときのドリカムにとって、それはやっちゃいけないことだったんです。
だから当然干されましたよね。テレビ局からは閉め出されるし。ラジオでも我々の曲はかからない。そこで一度、ドリカムは完全に死にましたね。
と語っています。
事務所に土下座をお願いされる。吉田美和と共闘し新しい事務所を設立
音楽業界の掟破りをしたせいで干されてしまったドリカム。
当時、東芝EMIの担当者から土下座謝罪を頼まれるほど、極地に追い込まれました。
「どこのラジオ局に行っても『中村がいる限りドリカムはうちの局ではかけない』って言われる」
「中村さんが土下座して回ってくれ」
そんな中、メンバーの吉田美和さんは中村正人さんの味方をしてくれたそうです。
吉田美和さんは責任を感じ追い込まれていた中村さんに、
「事務所が守ってくれなくてマサさんが悪者になるなら、もう私たちでやろう」
と声を掛け、一緒に戦ってくれたそうです。
そして、自分たちで新しい事務所を立ち上げ、アメリカのマーケットから引いて0から再スタートしたのです。
吉田美和と中村正人の不仲説。干された説と同時にネガティブな印象もあった
00年代からメディアへの露出が減ったドリカム。
干されてしまったことは事実でしたが、同時進行で噂された”中村正人と吉田美和の不仲”は本当だったのでしょうか?
ドリカムは吉田美和さんとベースの中村正人の2人コンビで、ユニットの成功が手に入ったのは、この二人の才能と協力関係があってこそでした。
しかし、仕事の相性は良くても、古くからのファンには”吉田と中村は不仲なの?”と疑われていました。
二人が不仲だと疑われていた理由には、
・ギャラや印税の配分に不満がある
・吉田美和さんの男性関係に中村さんが怒っている
・もしかしたら昔に二人が恋仲だったのかも?
と言うような内容がありました。
当初、不仲説について2人のどちらかが否定していましたが、長い歳月の後に中村正人さんが当時からの吉田美和さんとの軋轢について赤裸々に告白し、大きな話題となりました。
2016年に中村正人が「関ジャム 完全燃SHOW」で吉田美和との不仲を告白
長く噂されていたドリカムメンバー2人の不仲説。
2人とも不仲説については深く言及してきませんでしたが、中村正人さんが2016年に出演した番組の中で言及すると大きな話題となりました。
中村正人さんはドリカムの知名度の為に、メディアでピエロをやり続け、自分なりにリーダーとしての責任を全うしていました。
しかし、作品作りやレコーディング作業の中で、吉田美和さんに不満を持ち軋轢を生む瞬間が幾度もあったというのです。
「彼女(吉田)は決して自分からプロモーションをした人間でもないし、デモテープを作ったこともない」
「まったくない(PRのアクション)です。だから僕はアンチ吉田なんです。僕が歩いて歩いて歩いて(プロモーション活動をすると)……そこにポンと(吉田)が乗ってくるんです」
「ドリカムは365日解散危機にある」
と語り、解散を考えたことは何度もあったと告白しました。
衝突は音楽だけでなく、人間的な部分にも及んでいたそうです。
「(吉田と)音楽的にぶつかるというより、人間的に許せないですね」
とも話していました。
ただ、ドリカムを続けてきたことに関しては後悔はしてないようです。
吉田さんのストイック過ぎる姿勢を、
「わざわざあんなにシンドイ思いをしなくても…」
と愚痴りながらも、マツコさんが
「そう言いながらも良かったって思ってるんでしょ?」
と言うと、中村正人さんは、
「商売的には最高ですよね」
と嬉しそうに発言しており、仕事的には大成功で、ドリカムで残した結果には満足してる様子でした。
ドリカムアレルギーの理由はキラキラした歌詞。人気低迷と復活
2010年代の後半に入ると、平成初期の音楽などが再ブームとなり、ドリカムの楽曲も再生されるようになりました。
しかし、同時に「ドリカムアレルギー」と言う言葉も登場し、ドリカムの楽曲を直感的に避ける方々も増えました。
元々、ファンとアンチが多いドリカムでしたが、後半は毛嫌いしてる人の方が多い印象でした。
この”ドリカムアレルギー”と言う言葉に関しては、中村正人さん本人がメディアで言及したこともあります。
マツコさんの番組に出演した中村正人さんでしたが、実はマツコデラックスさんは以前からドリカムの楽曲の雰囲気に対してネガティブな発言をされております。
中村正人さんは、ドリカムアレルギーであったマツコデラックスさんの目の前で、
「マツコさんに象徴されるドリカムアレルギーをなんとかしたい」
と正直に話されていました。
ドリカムアレルギーを自覚し克服しようとしてる姿勢が評価される
そもそもドリカムアレルギーを主張する人は、ドリカムの楽曲のどのような部分を指して言っているのでしょうか?
マツコさんは中村さんを前にして、
「嫌いではないけど、何がアレルギーの原因かって考えると、歌詞の世界観ですね。私からすると完全な夢を見させられている感じ」
「ドリカムは幸せの象徴なのよ」
と発言し、中村さんも聞き慣れているような反応でした。
つまりは、ドリカムのリア充に特化した勝ち組のような華やかさに苦手意識を持つ人が多いと言うことで、主に”ドリカムのキラキラした歌詞”のことを指しているのです。
思い返せば、ドリカムが下火になった時期(2000年代)に流行った音楽には悲観的で弱者目線の楽曲が多く、当時の時代に合っていたなかったような印象があります。
ドリカムのリーダーである中村正人さんはそんな意見も前向きに捉え、今後、何かしらの形で克服しようという構えでした。
ネット上では「それって本人の前で触れて良いの?」と気まずそうなコメントが多くありましたが、中村さんの素直に受け入れ変わっていこうという姿が「プロフェッショナルでかっこいい」との肯定的な声が多くありました。