元少年Aと家族のその後。現在は西岡真から改名。結婚して妻子を持つも離婚?

1997年に日本中を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」。

事件の容疑者は当時中学3年生の14歳の少年でした。

日本の少年犯罪史上最悪な事件内容だったということで、今でも事件に纏わる話題は尽きません。

今日は、「神戸児童連続殺傷事件」の容疑者の少年と、その家族について書いてみたいと思います。

本名の改名や、結婚して子供が誕生し離婚した噂などについても触れてみたいと思います。

酒鬼薔薇聖斗(元少年A)の生い立ち。母はスパルタで父は無関心。支えの祖母が亡くなり孤独

1997年2月〜5月に、神戸市須磨区で小学生5人が殺傷され2人が死亡する連続殺傷事件が起きました。

犯人は「酒鬼薔薇聖斗」と名乗り、手紙を送って挑発するなど過激な行動に出ており、当時は日本中で大きく報道されました。

捕まった犯人は14歳の少年で、その少年は未成年保護法の都合から本名では報道されず、メディアなどで「少年A」もしくは「酒鬼薔薇聖斗」と呼ばれました。

名前 東慎一郎(犯行当時)
呼び名 酒鬼薔薇聖斗。元少年A。少年A(当時)。
生年月日 1982年7月7日
出身地 兵庫県神戸市
家族 両親。弟2人。

あまりにも非情な事件だったということで、逮捕された少年Aの生い立ちや学校生活なども注目されました。

逮捕後の週刊誌からの報道と、3年後の1999年4月に少年Aの両親が出版した「少年A〜この子を産んで・・父母の悔恨記」が発売されると、どのようにして少年Aが育てられたのかが知られました。

少年Aの母は早くから母乳育児を辞めスパルタに。父は奇行に無関心だった

少年Aは逮捕後に精神鑑定を受けると、家庭における親密体験の乏しさが明らかになりました。

入所した関東医療少年院では男性の主治医を父親役、女性の副主治医を母親役に見立て、「疑似家族」を作り上げるという前例のない治療体制が組まれました。

少年Aの母親は、早くから母乳での育児を辞めており、息子を早期自立させようとスパルタな教育を行いました。

実はそのスパルタ教育は母親の愛情の証でしたが、少年Aは自身に対する虐待と受取り、ネグレクトを受けている子供と対等な精神で過ごしていました。

また、父親も仕事に忙しい方で子供に構う時間もなく、たまにの休みもゴルフに出掛けてしまい、家族でゆっくり過ごす時間がなかったのです。

家の下から猫の遺体が見つかったり、息子が動物虐待や解剖を行っていても何も言わず、家から刃物や斧を発見しても咎めることはなかったそうです。

祖母が母親代わり?最愛の祖母が亡くなって以降に完全に孤立し孤独

両親と精神的距離が遠かったとされる少年Aですが、実は祖母は生前に少年Aのことを可愛がり、少年Aも祖母のことが大好きでした。

少年Aが2015年に出版した「絶歌」では、祖母の膝に座る自分の写真を載せていました。

昔の写真はほとんど処分したそうですが、この祖母との思い出の写真だけは捨てられず、今でも大切にしてるそうです。

おばあちゃんっ子であった元少年Aにとって、祖母は通常の子にとっての母と同じ存在だったのです。

2015年の書籍「絶歌」では、

僕には、「祖母のいない世界」を受け容れるだけのキャパシティなどなかった。自分か立っている半径一メートルのスペースだけを残して世界じゅうの地面が崩れ堕ち、自分ひとりだけがぽつんと取り残されてしまったような恐怖と不安と孤独を感じた。僕を包み込んでいたこの世界は巨大なビニール袋のようなもので、そのビニール袋の“クチ”が祖母だった。その“クチ”が今まさに閉じられ、密封された“世界の袋”は僕を閉じ込めたまま真空パックされるように急速に収縮し始めた。

と綴っております。

親同然だった祖母が亡くなったことが、少年Aを完全に孤立させ、奇行に走らせたのです。

学校では奇行や問題行動が目立ち精神科医で診察。事件前には同級生に暴力行為で不登校

少年Aは通っていた学校でも、問題行動や風変わりな行動が目立っていたそうです。

小学生の頃から刃物を一杯突き刺した不気味な粘土細工を制作するなど、特殊な世界観を持っており、中学生になると、その行動が過激化します。

中学生になると主に↓

・他の生徒の靴を隠して男子トイレで燃やす

・卓球ラケットで何もしていない同級生の頭を叩く

・在校生の自転車のタイヤをカッターで切る

といった行為があったといわれています。

さらに、事件を犯した同年1996年の5月には、同級生を公園に呼び出し、自分の拳に時計を巻き付けて殴り歯を折る怪我をさせ、父親が学校に呼び出される騒ぎがありました。

暴行を行った理由は「竜が台の通り魔事件の犯人にまちがいない」と被害者の同級生がいいふらしていたことだそうです。

その後、両親と学校が相談の上、児童相談所を紹介してもらい、学校を休むことになったのです。

少年院を退院した後の酒鬼薔薇聖斗の仕事と住所。全国に噂があった

酒鬼薔薇聖斗ごと少年Aは1996年に14歳で関東医療少年院に入り、2004年3月10日に21歳で仮退院しました。

仮退院による保護観察の期間は監察官3人をつけて生活基盤の安定を図り、その後に転居先からアルバイト先の選定まで、すべて手配されました。

仮退院から2カ月後は東京を離れて、身元引受人となった面倒見の良い里親の一軒家で生活しました。

2005年1月(22歳)に正式に退院すると、プレス工として働き、里親の近くにアパートを借りて一人暮らしを始め、更生の責務を終え自由の身となりました。

里親を通じて近況も知られていましたが、元少年Aはプレス工の仕事を半年で辞め、行方をくらませました。

その後の移住地や仕事先はネット上で色々と噂されていました。

退院後に里親の元から離れた後の移住

2005年1月 正式に退院。里親の近くでアパートを借りてプレス工として働く
2005年7月頃 プレス工を辞めて行方をくらます。カプセルホテルで暮らす。
2005年12月 建設会社で契約社員として働き社員寮で暮らす
2009年6月 契約社員切りが横行し、元少年Aも切られる。
2009年9月 溶接工になるがすぐに退職

2000年代はネット上を中心に”神奈川県平塚市の車工場に勤めてて山下団地に住んでる”など噂がありました。

その他にも神奈川県の川崎市や小田原、千葉県の柏や竜ヶ崎、四国の松山や高島平など全国各地から噂が出ていました。

2015年に本人が出版した「絶歌」によると、2011年頃から静岡県の浜松市にいたことは明確にされており、それが唯一の公式な情報です。

絶歌を出版した同年に週刊誌が報じた写真からは、当時(2015年)は東京都足立区にいると特定されていました。

酒鬼薔薇聖斗は何度も改名。結婚し子供が生まれ離婚した?

長く私生活が謎に包まれていた元少年Aですが、2015年に手記「絶歌」と出版すると風向きが変わります。

本のプロモーションを兼ねたホームページが立ち上がると、本人のイラストや半裸姿が公開されました。

メディアでも大きく取り上げられ、世間では再び神戸連続児童殺傷事件が蒸し返されました。

そして、出版と共に公人扱いとなり、週刊誌からは大胆な報道が出ました。

学生時代の顔写真が再び堂々と報じられ(事件後にも報じられたがすぐに発売中止)、ネット上で噂されていた画像との比較などがされていました。

名前もかつて本名「東慎一郎」であると広がっていましたが、その後に西岡真に改名し、さらに週刊誌ではイニシャル”K.M"として報道され、改名が繰り返されていることも明らかになっています。

ちなみに現在の名字は「木村」が有力だとされ、ネット上では「木村さん」と書かかれることが多いです。

また、記者が直接インタビューした際に「顔を覚えたからな」と逆上していたことも伝えており、「本当に更生してるので?」と物議を醸しました。

妻子持ちはガセネタ?人気配信者の突撃で女性の声が入るも証拠不十分

元少年Aは、2015年に手記を出版する前から、「ファンの女性と結婚した」などという噂がありました。

手記を出版した後は「親になって自分のやったことの罪の大きさを知った」と記述したとのことで、子供がいると噂されましたが、実際には手記にそのような文面はなく、ただのガセネタでした。

ただ、2016年に人気配信者の野草さんが、現在の酒鬼薔薇聖斗さんが住んでいると噂されるマンションに突撃すると、子持ちの噂が再浮上します。

野草さんが元少年Aと思われる人物とコンタクトを取った際、女性の声が聞こえたとして「結婚してるのは本当だったか」と言われたのです。

しかし、そもそも野草さんが突撃した人物が本当に元少年Aだったのかが疑問で、動画のコメント欄では信じてる人と半信半疑のコメントと半々でした。

コンクリ事件の加害者との情報が混じって勘違いされてる説

昔から元少年Aが結婚してるとの噂がありましたが、物的な証拠はなにもありませんでした。

元少年Aに妻子持ちの噂が出た原因はわかりませんが、同じく平成を代表する少年犯罪「コンクリート事件」の加害者の現在の情報と混じっているのでは?とも考察ができます。

2000年代のインターネットは、ソース不明の都市伝説じみたものが多く出回っていましたが、酒鬼薔薇聖斗事件とコンクリ事件はセットで揶揄されることが多く、その中で2つの事件の加害者の情報が混じってしまった可能性があるのです。

コンクリ事件の加害者の中には、結婚して子供が生まれて幸せに暮らしている人もいるということで、その情報は頻繁に焼き回されており、いつしか元少年Aの近況と入れ違いになって広がってしまったとも考えられます。

少なからず、仮に妻子がいた場合、2015年に手記を出版したりホームページを立ち上げるという行動には出ないと思います。

そもそも結婚して子供がいれば、週刊誌がもっと派手に報じてると思うので、やはりガセネタでは?と考えるのが一般的です。

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