貴ノ浪が腹上死との説。死因に酒豪も関係か?断髪式も葬儀も盛大

大相撲で活躍された貴ノ浪こと音羽山親方。

貴ノ浪の幕内勝利数は歴代11位で、大相撲の歴史に名を残しています。

そんな貴ノ浪こと音羽山親方が亡くなったのは43歳の若さでした。

2015年6月に亡くなり、死因は急性心不全と報じられました。

しかし、貴ノ浪の死因には裏があるとして、協会関係者などから女性絡みがあったと告発されています。

貴ノ浪の腹上死は報じられず。葬儀は盛大に行われた

2015年の6月20日に突如「急性心不全」で亡くなった貴ノ浪。

2日後の6月22日には葬儀が行われ、43歳の若さで亡くなった貴ノ浪を大勢が偲びました。

葬儀・告別式が名古屋市内の平安会館守山斎場で営まれ、家族や貴乃花親方、部屋の幕内貴ノ岩の相撲関係者を筆頭に、約300人の弔問客が訪問しました。

出棺の際には「大関、ごっつぁんでしたー!」の飛んだ掛け声が飛ぶなどし、葬儀は各メディアでも大きく取り上げられました。

貴ノ浪は生前から多くの関係者に愛されていたようです。

「親方は“宴会部長”とあだ名される陽気な性格で、放っておくとお喋りが止まらない。当然、われわれ記者からも愛されていました。貴乃花部屋に所属する親方として、後進の指導にあたる一方で、その仕事ぶりは協会内で高く評価されてきたのです」

記者受けもよく、親方としての仕事も申し分なく、まさに理想的なOBを失ってしまったということです。

週刊誌が貴ノ浪の腹上死を報じる。嫁に内緒で愛人でホテルにいた

偉大な力士・貴ノ浪さんの死を悔やむ一方で、亡くなった僅か1ヶ月後に、某報道から副上司の説が強く出ました。

幕内勝利数は歴代11位。往年の名大関の名にふさわしい記録を誇る貴ノ浪こと音羽山親方が鬼籍に入ったのは先月20日のことである。享年43。だが、命を落としたのが「午前10時のラ⚪︎ホテル」だったことは報じられず、角界のタブーとなっているのだ。

一般報道では貴ノ浪さんの死因は、大阪市内のホテルでの”急性心不全”とだけ報じられましたが、実際は愛人と過ごしたホテルで体調を崩した事実が明らかになったのです。

貴ノ浪さんは奥さんに5人の友人に会うと伝え出掛けましたが、本当は愛人と大阪で密会していたのです。

「大阪にいる愛人とラ⚪︎ホテルでコトに及んでいる最中に、体調を崩して、そのまま帰らぬ人になったんです」

いわゆる「腹上死」である。しかもこの事実が週刊誌の記事で大々的に報じられてしまったのだ。明るく気さくな性格で、人望も厚かった音羽山親方だけに、その死因は世間に大きな衝撃を与えた。

貴ノ浪が体調を崩したのは2015年6月20日の午前10時過ぎ頃。

愛人と豊中市走井にあるラブホテルを訪れ、行為が始まってすぐに心臓の状態が悪くなってしまい倒れてしまったそう。

愛人がフロントに連絡も、ホテルにAEDもなく助からず

貴ノ浪さんが体調を崩すと、愛人はすぐにホテルのフロントに連絡。

通常であれば救急隊が到着するまでにAEDで手当をするのですが、滞在していたラ⚪︎ホテルにはAEDがなく、救急隊が到着するまでに手当てができなかったのです。

親方は高血圧症や高脂血症などの持病を抱えていたということですから、心臓には常に負担がかかっていたわけです。

そのうえ、不倫相手とラブホテルでの逢瀬となると、精神的興奮度が高まり、これまた心臓に悪い。

ただ、薬を飲んで病気をコントロールしていれば、彼の若さで急性心不全になることはまずない。

元々、心臓が弱かったことも命取りになってしまったようです。

「そもそも彼は心臓に大きな爆弾を抱えてきた。04年夏場所中の引退は、心臓が止まりかけての“ドクターストップ”によるもの。その2年後には、急性呼吸不全や心房細動などを併発してICUに入りました。この時は心臓が止まり、緊急手術を受けているのです」

行為への興奮、AEDのない環境と、不運が重なっていたのです。

結果、43歳の若さで急性心不全となって旅立ってしまったというわけです。

貴ノ浪は大相撲を代表する酒豪だった?勝俣州和のYouTubeで語られる

貴ノ浪さんが亡くなってから8年後の2023年7月、タレント・勝俣州和さんがYouTube内で貴ノ浪さんに纏わる逸話を披露しました。

勝俣州和さんは2023年7月14日に「大相撲酒豪ベスト3」という動画をアップ。

3位は若乃花&曙、2位は白鵬、そして1位に貴ノ浪さんの名前を挙げたのです。

勝俣さんは、

「その貴ノ浪さんの記録が1軒目で10升まず飲んで、18リットル。1軒目ですよ。じゃあ2軒目行こうつって、2件目でヘネシーを7本。で、これ5リットルなんです。23リットル一夜にして飲んだ

「あるお正月、樽ってあるじゃないですか。一斗樽って10升なんです。10升入った樽があるんですけど、貴ノ浪さんは二斗樽、20升入った樽を一人でちびちびちびちびやりながら、2日間で飲み干したんです。二斗、要は36リットルを2日間で飲み干したんですけど、その1週間後になんと心臓が止まったんです。心臓が止まって救急病院に運ばれて2か月3か月入院して復活した

と、生前の貴ノ浪さんのお酒の強さが規格外であるエピソードを語りました。

心臓が弱かったものの、心臓が止まるまで呑んでいた、そして復活していたとは驚きですね。

貴ノ浪の結婚相手は元保育士・浪岡陽子(父は名士)。娘が1人誕生

貴ノ浪さんが結婚したのは30歳前後です。

2002年に6歳年上の名古屋在住の保育士・浪岡陽子さんと結婚しています。

浪岡陽子さんとは、貴ノ浪さんが幕下時代からの付き合いで、10年以上の長き交際の末に結婚しました。

貴ノ浪さんが結婚した浪岡陽子さんの父親は名古屋の病院長です。

陽子さんの父は地元では名士として知られ、当時大相撲の星だった貴ノ浪さんとはお似合いの組み合わせでした。

貴ノ浪さんが心臓病を患った際は、陽子さんの父親の名古屋市内で療養したこともありました。

名古屋の病院長の娘でもある陽子夫人とは幕下時代から交際していたという。 

「一時、名古屋の彼女のところに入り浸りだと言われたりしたが、実は、現役時代から患っていた心臓病の療養だったようです。

結婚して2、3年後に第一子の娘が生まれました。

貴ノ浪と娘。貴乃花部屋に通い単身赴任

2002年に陽子さんと結婚した貴ノ浪さんですが、その後の2004~2005年頃に第1子長女も生まれています。

しかし、現役時代は子供や嫁さんと過ごす時間が、とても短かったそうです。

結婚後、貴ノ浪さんと陽子さんは、名古屋市内に自宅を構え、東京の貴乃花部屋に通っていた貴ノ浪さんがは単身赴任の状態でした。

「親方一家は、2002年に結婚した6歳上の陽子夫人と、10歳になるひとり娘の3人家族。彼女らは名古屋で生活し、親方は東京へ単身赴任をしています」

また、引退してすぐの2015年に貴ノ浪さんは亡くなったので、最後までに一緒に過ごす時間は少なかったとされます。

亡くなった時期、娘は小学校高学年で、その後の週刊誌の記事は相当きつかったことでしょう。

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