2021年8月4日は、横浜Mや日本代表で活躍した松田直樹さんが亡くなって10年目の節目です。

日本サッカー界にとって偉大な選手が亡くなった日ということと、東京五輪でサッカー日本代表が強敵スペインと善戦したということで、合わせてニュースになっています。

松田直樹さんは10年前、急性心筋梗塞によって34歳の若さでこの世を去りました。

横浜マリノスが松田直樹さんのために10年越しの記者会見

多くのサッカーファンや元チームメイトに愛された松田直樹さん。

ただサッカーが上手なだけでなく、明るい性格で常にチームを盛り上げるムードメーカーでありました。

そんな松田さんのことを忘れない人は多く、毎年命日の8月4日になるとファンらがSNSなどで松田さん関連の話題を出しては懐かしみ、彼の死を惜しんでいます。

松田さんが亡くなって10年目の2021年の8月4日には、現役時代長く在籍していた「横浜マリノス」が、急遽記者会見を開き、彼の存在の尊さや、サッカー界のこれからについて語りました。

サッカーJ1に所属する横浜F・マリノスが3日、記者会見を行い、1995年から2010年までチームに在籍していた松田さんが亡くなってから翌日で10年を迎えるこの日、改めて松田さんへの想い、今後のクラブの取り組みについて語った。

 登壇したのは黒澤良二代表取締役社長、松田さんと一緒にプレーした波戸康弘アンバサダー、栗原勇蔵クラブシップ・キャプテン、そして松田さんの実姉である真紀さん。黒澤社長は“松田直樹さんという偉大なサッカー選手がいたことを、クラブが続く限り伝え続ける”という決意を表明した。

「クラブレジェンドの一人であり、1995年の加入以降、16シーズンの長きにわたり、横浜F・マリノスで活躍され、闘志あふれるプレーや熱い気持ちで多くの人を魅了しました。ファン・サポーターの皆様に愛された松田直樹さんが急性心筋梗塞に2011年8月4日、急逝されてから明日で10年を迎えます。

命日を迎えるに先立ち、改めて松田さんへのクラブの想いとこれからの未来へ向けてご挨拶させていただきたいと思います」  取り組みの軸は2つ。

1つ目は、これまでも実施してきた背番号3のベンチへの毎試合の掲出とSNS等を通じたメッセージの発信、そして8月4日に近いホームゲームでの記帳台の設置など、松田さんにフォーカスした想いをつなぐ発信や取り組みを継続していくというもの。

2つ目は、松田さんのような悲劇を二度と起こさないための「命につなぐアクション」の継続である。引用元:Yahoo!ニュース

実は2019年からすでに横浜FMから始まり、現在ではJリーグ全体で行うJリーグ社会連携しています。

通称「シャレン」はCPR(心肺蘇生法)やAEDの使い方など突然死ゼロを目指す活動

松田さんのショックから数年後にサッカー界で色々動きがありました。

国内外でも多発している選手の試合中の突然死。

それに対して2019年から通称「シャレン」の取り組みとして対策を行なっています。

内容はCPR(心肺蘇生法)やAEDの使い方など、スポーツ中の突然死ゼロを目指すとともに、この取り組みを通じて松田直樹さんの魂を継承していくそうです。

また、マリノスの背番号「3」は松田選手のために大切に保管されていましたが、10年目となる今年に販売が再開されました。

理由として黒澤社長は、

松田直樹さんという、偉大なサッカー選手がいたことをクラブが続く限り伝えていくという使命に、クラブとして全力に取り組んでいくことの決意の表れ」

としてます。

また、ユニフォームの売上については利益の全額が、「命をつなぐアクション」、ホームタウンにおけるCPR(心肺蘇生法)とAEDの普及啓発事業、さらに子どもたちへのサッカー普及活動費用に充てられるそうです。

きっと天国の松田選手も喜んでいることでしょう!

松田直樹が心筋梗塞で倒れた瞬間

若干34歳の若さで天国に旅立たれた松田直樹さん。

当時、あまりにも若いお別れに、多くのサッカー関係者やチームメイト、ファンらが悲しみの声明を出しました。

気になるのは、松田さんがいつどこで倒れて、病院までにどのような時間経過を過ごしていたということです。

松田直樹が倒れてすぐに在籍の山雅FCのホームページで発表

当時、松田さんが練習中に倒れたということを山雅FCのホームページで発表されました。

発表の時間と日時は8月2日の午前10時前です。

発表では、松田さんは10時前にランニングのメニューこなし、その後のストレッチの際に、体調不良を訴えたそうです。

松田さんは、その場に倒れ込みました。

実は松田さんはランニングの最中に、疲れたという発言をしていたそうです。

「だるい」などの発言もあったみたいな。

「大の字に倒れた松田を囲んで、『マツさん、マツさん起きろ!』と選手たちが叫んでいた。何が起きているのか、すぐには理解できませんでした」(松本山雅FCチームスタッフ)

松田が病院に運ばれた8月2日、松本山雅は、松本市内にある梓川ふるさと公園で練習を行っていた。ウォーミングアップとして行われた、15分間3kmのランニングを、「いつも通り」2周遅れでゴールした松田の胸を、突然激痛が襲った。

次の練習が900m走だったため、その準備として脈拍を取りながらストレッチをしていたんです。そのとき松田が『やばい、やばい』と呻きながら崩れた」(前出チームスタッフ)引用元:Yahoo!ニュース

倒れた後、すぐに救急車を要請。

待っている間、看護師の女性が心臓マッサージを施していました。

救急車到着後に松田直樹に人工呼吸・心臓マッサージ・AED処置を施す

松田選手は看護師にマッサージをされながら、救急車が来るのを待ちます。

グランドに救急車が到着し、出発までの間に人工呼吸・心臓マッサージ・AED処置を施しました。

この時、既に松田選手の意識はなく、それから約20分後ぐらいに救急車が出発。

その途中でドクターカーに乗り換えてます。

11時前に松田選手を乗せたドクターカーが信州大学付属病院救急救命センターに到着しました。

信州大学付属病院救急救命センターに到着した時点で松田選手の意識はなし心臓の鼓動は僅か

救急車からドクターカーに乗り換えて信州大学付属病院救急救命センターに到着した松田直樹さん。

この時、既に心肺停止状態だったそうです。

病院では、急性心筋梗塞と診断されました。

診断後、松田選手はすぐに手術を受けました。その時点では、微弱ながら心臓の鼓動は戻っていたそうです。

手術後、松田選手は人工心肺装置をつけ意識不明の重体が続きました。

手術後、松田選手は人工心肺装置をつけ意識不明の状態が続く

倒れた日の夕方には自発呼吸はしていました。

しかし松田選手の呼吸は小さく、手術後にはずっと人工呼吸器をつけている状態でした。

夜になる前に、ついに自発での呼吸は停止。

心臓の周りの血を取り除く手術を行なっていたそうです。

松田直樹は倒れた二日後の8月4日に死去

手術を受け、呼吸が戻り、再び呼吸がなくなるという危ない状況。

夜にはニュースにもなり、多くのファンや関係者が松田選手の呼吸が戻ることを祈りました。

次の日の朝に集中治療室に入っていると報じられました。

ネットでは常に松田選手の回復を祈るファンの声があり、ずっとトレンド入りしてる状態でありました。

また、松田選手とプレーしたことのある多くのサ著名ッカー選手が回復を祈るコメントを出しては、ネットニュースになっていました。

しかし、みんな祈りは届かず、倒れて2日後の8月4日の13時に、松田直樹選手が死去されたことが報道されました。

松田直樹のプロフィール

松田 直樹(まつだ なおき)
愛称: マツ、マツさん、ナオキ
生年月日: 1977年3月14日
出身地: 群馬県桐生市
没年月日: 2011年8月4日(34歳没)
身長: 183cm
体重: 78kg
ポジション: DF
利き足: 右足
所属クラブ: 1995-2010 横浜マリノス/横浜F・マリノス、2011 松本山雅FC

サッカー強豪校・前橋育英(群馬)から1995年に横浜マリノス入り。1996年アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」、2002年日韓ワールドカップ(W杯)の16強進出など、Jリーグだけでなく、日本代表としても活躍した。日本を代表するDFがJリーグで16年に渡り所属したのが、横浜F・マリノスだった。

松田直樹の嫁・加藤美由紀。離婚理由は不倫?

若くてかっこいい松田直樹選手でしが、実は既婚者でした。

当時、嫁さんや子供の話はあまり公に出ませんでしたが、嫁さんが有名な古着屋「サンタモニカ」の元店員である、「加藤美由紀さん」ではないか?という噂が一部ネットでありました。

松田直樹さんとお嫁さんは死去された当時、すでに離婚されていたそうです。

そうです。

嫁さんとの離婚理由は、松田さんの女遊びが原因では?と噂されていますが、離婚当時、大きく報道されなかったので詳細は不明です。

松田選手が亡くなった後、告別式に元嫁が参加しなかったなどの報道があったことから、離婚した当時かなり揉めたのではないか?と推測されています。

嫁さんは告別式に参加しなかった?

松田直樹さんが死去された当時、報道は大きくありました。

後日になって松田さんの元嫁さんが松田さんの告別式に参加できなかったとの逸話が広がりました。

なんとも、松田さんの元嫁は、斎場の外から手を合わせるのみで、線香もあげる事もしなかったそうです。

松田直樹の元嫁は離婚問題で母と揉めていた?

松田直樹さんの告別式8月9日に故郷の群馬県桐生市の斎場で営まれました。

式のことはメディアでも大きく伝えられました。

なんとも、松田選手の告別式の参列者には日本代表選手として戦った中田英寿さんや中山雅史さん、小野伸二さん、元日本代表監督のフィリップ・トルシエさんなど、サッカー界の大物選手が多く集っていたのです。

また、サッカー関係者だけでなく、一般人の方も多く参加、含む約1700人が告別式に参列したそうです。

そんな式の裏側で、元嫁と松田選手の母親が揉めていたという話があったのは意外です。

「病室前で、松田さんの母・正恵さんから、“あなたには病室にはいってほしくない”と面会を断られたそうです。それでなんとか子供だけでもとお願いして、子供たちは父親と対面を果たせたんです」
(中略)
「正恵さんにしてみれば、息子がこんなことになったのには、A子さんとの離婚問題も影響したのではと思っているんです。ですから、息子を苦しめたA子さんに対し、“あんたに死に水は取らせない”という思いだったのだと思います」
(中略)
「正恵さんから“葬儀には来ないで。参列は子供たちだけ”とA子さんはいわれたそうです」引用元:Yahoo!ニュース

松田さんの元嫁が告別式に現れなかった理由として、母親と嫁さんには確執があったことが有力視されています。

松田直樹の3人の子供の名前。胡桃(くるみ)梨里(りり)大和(やまと)

松田直樹さんは、元嫁と離婚後、3人の子供と離れ離れになりました。

離婚後、子供は嫁さんと暮らしていたそうです。

現在、お嫁さんは子供さん達と、嫁さんの実家がある神奈川県内で暮らしてるとのことです。

松田直樹さんと元嫁の間には子供さんは3人います。

子供は1男2女です。

子供さんの名前は、

胡桃(くるみ)

梨里(りり)

大和(やまと)

との説がありますが、公式な情報ではありません。

松田直樹の長男・大和はサッカーの才能抜群!

ちなみに長男・大和は松田さんが亡くなった6年後の2017年8月14日に、永井秀樹さんの引退試合「J LEGENDS」に出場し話題になりました。

長男・大和の背番号は松田直樹さんと同じ「3」でした。

長男は後半に出場し、4分と21分に出場選手最多タイのシュートを放つなど積極的な活躍されました。

当時、引退試合の主役であった永井直樹さんは松田直樹さんの長男・大和くんのプレーに関して、

「恥ずかしがってピッチに立たないのかなと思ったんですけど、堂々とやれてた。少なからず松田直樹のDNAだなと思いました。」

と、コメントし、大和くんサッカー選手と、当時のプレーを絶賛していました。

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