B'zのボーカル・稲葉浩志さんといえば、日本音楽界を代表する色男です。

いくつになっても色気は健在で、今でも女性誌の好きな男性ランキング、抱かれたい男性ランキングの上位の常連です。

そんな稲葉浩志さんは私生活では再婚した嫁・蓬田美奈子さんとの間に長男ひとりと、良き旦那・父親としても奮闘してます。

これまでに不倫スキャンダルなど無縁だった稲葉浩志さん。現在の嫁さんと結婚して以来、女性関係で悪い噂は聞きません。

それだけに実はバツイチで、その前の嫁さんとの遠距離恋愛や、1年ちょっとで結婚生活が破綻した過去は意外であります。

稲葉浩志と美紀の馴れ初め。彼女が短大生時代のコンパニオンのバイトで出会う

実は現在の嫁さんと初婚ではなかった稲葉浩志さん。

その前の嫁さんについて調べてみると、かなり運命的な出会いをしてます。

前嫁の名前「美紀」さんと言い、稲葉さんとの初対面の頃はまだ長崎県の活水女子短期大学に通う大学生でありました。

美紀さん自身は広島県出身の女性なのですが、大学に通う都合から、大学のある長崎件でバイトしていたのです。(長崎で1人暮らしをしていたのか通いだったのかは謎です)

稲葉浩志さんと美紀さんの出会いはB'zの1990年のライブツアーでの長崎公演の打ち上げの場でした。

美紀さんはコンパニオンのバイトとして参加したB'zの打ち上げにて、稲葉浩志さんと出会ったのです。

当時の稲葉さんは25歳で、美紀さんは大学生でした。

このときに運命の出会いを果たし、その後に美紀さんが就職して東京に上京するまで遠距離で連絡を取り合ったりしていたとされてます。

美紀はまるで漫画「NANA」の蓮を追いかけるナナのよう?

稲葉さんと出会った時点で美紀さんは東京の会社に就職が決まっていたのか謎ですが、その後の就活・上京の決断に稲葉浩志さんの存在があった可能性も無きもせずあらずです。

そうだとしたら、美紀さんは稲葉さんとの甘い生活を目指し、稲葉さんを追いかけるように人生の選択をしたと思われます。

彼女が就職した1991年の時点でB'zはヒット曲を出し、すでに売れっ子バンドでありました。

仮に結婚できれば間違いない男性だったはずですから。

美紀と稲葉浩志は1991年に交際スタート。六本木のマンションで極秘同棲

1990年の長崎公演の打ち上げで出会った稲葉浩志さんと美紀さん。

1年後の1991年に彼女は大手航空会社「ANA」に就職。客室乗務員となりました。

同じタイミングで稲葉浩志さんと交際をスタートさせ、すぐに六本木のマンションで極秘同棲を始めました。

駆け出し当時なのに極秘で同棲?と思われるかもしれませんが、当時のB'zは松本孝弘さんの巧妙な売り出し方で瞬く間に国民的なバンドになっていました。

1992年の時点でB'zは『B'z LIVE-GYM Pleasure '92 "TIME"』とベストアルバムから厳選したアリーナ級の会場での公演を実施していましたから。

その後に美紀さんと稲葉さんは結婚する1994年まで、六本木のマンションで愛情を育みます。

売れっ子ミュージシャンと、ANAのスッチーのカップルなんてドラマのような組み合わせですね。

稲葉浩志が美紀と付き合ってた時代に書いた曲の歌詞。「いつかのメリークリスマス」「愛のままにわがままに」「裸足の女神」

1991年から極秘同棲を始め、美紀さんはANAの新人CAとして忙しい日々を過ごし、彼氏だった稲葉浩志さんはロックスターの道を駆け上がっていきました。

多忙なお二人だったので、きっと会える時間も少なく、たまに家で一緒にいれる時間さえも幸せだったことでしょう。

そんな時期に稲葉浩志さんが書いた曲というのが永遠のクリスマスの名曲「いつかのメリークリスマス」、そしてヒット曲「愛のままにわがままに」「裸足の女神」です。

どこまでが美紀さんを思って書いた歌詞なのか不明ですが、そのパッションを引き出すだけの空間作りに彼女が貢献していたのは事実だと思います。

稲葉浩志と美紀は1994年に結婚。子供はなし。ニュージーランドで挙式

1991年から始まった美紀さんと稲葉浩志さんの同棲愛ですが、その3年後の1994年に見事にゴールインとなりました。

稲葉浩志さんの初婚は30歳の頃ということになりますね。美紀さんは20代半ばで女性が結婚するのに理想的な年齢です。

白金の高級マンションで新婚生活を始めたそうです。

結婚当時、美紀さんと稲葉浩志さんの間に子供はいませんでした。デキ婚ではないということです。

ちなみに1994年のB'zはというと、The 7th Blues』をリリースし『B'z LIVE-GYM '94 "The 9th Blues"』というライブツアーを実施。

アルバムは売れて、ツアーもしっかりとチケットを捌けましたが、アルバムの収録曲に暗い曲が多かったために、ファンやメンバーからは「暗黒時代」と呼ばれました。

せっかくの結婚の年が、仕事の面で「暗黒時代」だったと考えると、かなりマイナスが大きいと思います。

美紀の稲葉浩志との出会いからの勝ち組人生

冷静になって美紀さんの稲葉さんと出会ったからの出来事を振り返ってみると、かなり充実してることに気が付きます。

大学生の頃に売れ始めの稲葉浩志さんに出会い、大手ANAに就職し、上京後にすでにロックスターだった稲葉浩志さんとの交際がスタートし、新社会人でありながも六本木のマンションで芸能人と極秘同棲。

そして女性が「結婚したい理想の年齢」に挙げることが多い20代半ばに、見事に結婚を果たしたのです。

ミーハーな若い女性であれば、誰もが憧れる人生であると思います。

ただ結婚後に、子供ができなかったとこと、旦那さんとの結婚生活がすれ違いばかりだったのは大誤算でした。

結婚から僅か1年後の1995年に美紀と稲葉浩志は離婚

馴れ初めから、交際、結婚まで、仕事と共に見事であった美紀さんと稲葉浩志さんですが、幸せは長く続きませんでした。

なんと結婚して僅か1年3ヶ月後の1995年9月4日に離婚することになったのです。

当時の稲葉さんは31歳の誕生日目前でありました。

ふたりの間に子供はいなかったために、慰謝料や養育費などの話はなかったそうです。

そもそも別れを切り出したのは美紀さんの方だったというから驚きです。

やはり、当時はまだ若かったということで、結婚の理想と現実のギャップについていけなかったのでしょうか?

美紀と稲葉浩志の離婚理由は多忙故のすれ違い?B'z全盛期の威力

1990年に出会い、1年後に同棲交際を始め、3年後に結婚と、時間の掛け方を見てると健全な普通の恋愛結婚のように見えます。

特に稲葉さんに不倫などの噂もありませんでした。

なぜ、ふたりは離婚することになったのでしょうか?

離婚の理由についてはネット上では忙しすぎて家に帰らない稲葉さんに美紀さんが耐えられなかったとの憶測が多いです。

ちなみに離婚した1995年のB'zといえば、前年1994年の暗黒期を糧に限定に戻り、再スタートを計り成功しました。

8thアルバム『LOOSE』は売上枚数が300万枚を突破し、アルバムに伴うライブツアーはスタジアム級の会場を中心に大規模に行われました。

当時の稲葉さんの創作活動や、ライブに向けた準備を考えれば、プライベートがほぼなかったのは安易に想像できます。

また、美紀さんも結婚するまではANAの客室乗務員として活躍しており、彼女も彼女で多忙な毎日を送っていました。

それが結婚を機に急に家のことをして旦那のことを待つ毎日。当時の彼女の若さをも考慮すれば、いくらお金があったとしても耐えられるものではなかったのかもしれません。

仮に稲葉さんと美紀さんの間に子供が生まれて、育児に忙しくなっていれば、少し事情は違ったかもしれません。今更な話ですが。

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