昭和を跨いで平成、令和と続く矢沢永吉さんの武道館ライブ。

コロナ禍の2020年は連続年間記録が途絶えましたが、翌年2021年にはすぐに復活しました。

矢沢永吉さんのライブの象徴ともいえるのが大きな日本国旗です。

ムードのある楽曲に照明でうっすら見える日の丸は、日本人としての誇りを感じる素晴らしい光景であります。

そんな日本を代表するロックスターである矢沢永吉さんですが、実は長くネットで「実は在日韓国朝鮮人だ」などの噂が出ています。

ネットではそれを信じてる方が多いみたいですが、長くのファンはそれがガセネタであることと、なぜそのような噂が出てしまったのか、カラクリを知っています。

また、在韓に続いて、矢沢永吉さんが身長をサバ読んでいるという疑惑もありますので、この噂も一緒にこの時期で検証してみたいと思います。

矢沢永吉の生い立ち。子供の頃に父が死去し母は蒸発。祖母の元で生活保護の貧困生活

今でこそ華やかなライブスタイルを誇る矢沢永吉さんですが、子供の頃はかなり悲惨な貧困生活を送っていました。

矢沢永吉さんは1949年9月14日に広島県広島市南区仁保にて生まれました。

矢沢永吉さんの父親はもともと別の女性と結婚していましたが、1945年の広島原爆で、当時の嫁と息子と娘の3人を亡くしてしまってます。

また、もともとは従業員8人を雇う規模の自転車を営んで裕福な方でしたが、戦争を機にお店まで失ってしまいました。

父は戦後に知り合った女性と結婚し、1949年に矢沢永吉さんが誕生します。

父は戦前との生活の差に絶望し、毎日のようにお酒を呑んで荒れていたそうです。そんな父に呆れた母は矢沢永吉さんが3歳の頃に、家を出て蒸発してしまいます。

父の手1つで育てられた矢沢さん。戦後で裕福ではないですが、父に買ってもらった自転車を周囲に自慢できたり、それなりに良い思い出もありました。

父が小学校低学年の頃に死去。その後は親戚の家で生活保護の極貧生活

そんな父もかつての原爆の後遺症が原因で、矢沢永吉さんが小学2年生の頃に亡くなってしまいます。

その後は父方の祖母など、親戚の家を転々とする生活になったそうです。

親戚はどこも貧しく、あっちこっちたらい回しにされたそうです。

生活保護を受けてる家に引き取られました、とても子供を養える余裕もなく、矢沢永吉さんは酷い少年時代を過ごすことになります。

矢沢さんの家は、学校の遠足の時もリュックサックが買えないということで、自分らで新聞紙で作ったリュックを持って遠足に行ったそうです。

また、運動自体は好きでしたが、お金が必要な為にスポーツにも参加できず、子供の頃は野球のルールさえ知らなかったそうです。

当時高級だった海水パンツも当然買うことができず、海には行けず、近所の川で裸で泳ぐのが唯一の遊びだったそうです。

矢沢永吉の子供の頃の口癖は「つまらない」。祖母は涙ぐむ

永吉少年に何もやってあげれない祖母は、罪悪感から涙ぐむことも多かったそうです。

少年時代は常に空腹な上にどこにも行くことができず、いつも「つまらない」と家で言っていたそうです。

おばあちゃんは、そんな永吉少年の言葉を聞いて、泣きそうな顔をして「どこかへ行きなさい」と言っていたそうです。

矢沢永吉さんが貧困時代の子供の頃で一番辛かったのは、給食費や教科書代の免除だったそうです。

給食ただで食べさせてもらって、教科書ただでもらったあの時のこと忘れない。こんな屈辱は無いと思ったからね。生活保護を受けている子は、給食の、食事を作っているとこ、あれの裏口まわってから、牛乳とパンもらうんだよ。

これ、乞食じゃん。ふざけんなよ、と思ったよ。ああ、絶対これ上に行かなきゃダメなんだ、と思った。これ、小学校6年ぐらいで、それ思わせてくれたんだよ。

子供ながらも自分の家で他の家よりもひどく貧しいと実感し、とても悔しかったそうです。

当時の矢沢さんは子供心ながらに、将来は自分の子供の給食費や教科書代は絶対に払いたいと心に決め、この時代にお金を稼ぐことにハングリー精神を植え付けたそうです。

矢沢永吉が工場のおぼっちゃまにケーキを投げつけられた思い出

矢沢永吉さんの貧しい子供時代の中で、最も酷に思えたのは、あるクリスマスで受けた嫌がらせです。

近所の土手で遊んでいると、普段から羨ましいと思っていた鉄工所の息子が、デコレーションケーキを舐めながら持って来てそうです。

そして、

永吉、きょうはクリスマスイヴだけど、おまえの家はこういうの食えないだろう。欲しいか。ちょっとなめさしてやろうか?

と矢沢少年に言ってきたそうです。矢沢さんは「舐めたい」とプライドを捨てて言いました。

すると、その息子はケーキを矢沢さんの顔を目がけて投げてきたそうです。ケーキは見事に命中し、矢沢さんの顔にケーキが付いたのです。

その時、オレがどうしたと思う?「てめえ、この野郎」と殴りかかる?いや、ちがう。世の中って劇画じゃないんだ。オレは口惜しかったから、すぐにはなめなかった。けどそれをなめたんだ。落ちないでくれ、頬っぺたから。落ちないでくれさえすれば、あいつがいなくなってからなめられる。そいつが横を向いてる時に、舌をのばしてなめた。

こんなことがあった10年ほど後に、この息子の工場が潰れ、その息子は貧そうな姿で街を歩いていたそう。

ざまぁみろと思ったのと同時に、人を傷つけるといつかバチが当たることに気が付いたとか。

矢沢永吉が在日韓国人で朝鮮ネームがあった噂はガセ?官報画像は偽物か?

古くからネット上で、矢沢永吉さんが在韓であったとの噂がありました。

矢沢さんの昔からの画像を見てる限り、普通の日本人にしか見えないので、信じられない噂ですね。

だと矢沢永吉さんの本名は「趙永吉(チョ ヨンギル)」で、通り名は「巴山永吉」だったとか。

実は以前から「キャロル」のメンバー・ジョニー大倉が在日で印象がかぶってしまったこと、実家の場所の広島県広島市仁保(現在の広島市南区)が、終戦後に多くの韓国人が移住しコリアン・タウンと呼ばれるほど韓国系の移民が多く住んでいた背景があったことなどもあり、前々から在日は噂程度でありました。(信じてる方は少数派でした。)

昭和53年6月8日に帰化して日本国籍を取得し、当時は官報にも載ったとのことでした。

ネットでは当時の官報と思われる画像が出回っていました。

しかし、後にわかる矢沢永吉さんの経歴などから、この官報の画像は捏造されたものだという疑惑が強くなりました。

矢沢永吉のバイクの免許やパスポートが証拠?在日が嘘だと思う理由

赤坂にあるオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」に展示されている矢沢さんの免許書。

実はこれ、「俺は在日ではない」という矢沢さんなりのメッセージではないか?と言われてます。

なんとも運転免許証は在日韓国人であれば朝鮮名と朝鮮籍が記載されるはずです。

矢沢さんは高校時代からバイクに乗っており、当時からの免許証が日本国籍であり、当時の免許が日本国籍の時点で在日ではないことが証明されます。

そのほかにもネット官報には1978年に帰化したとなっていますが、矢沢永吉さんはその時期より前にパリやアメリカに行っています。

在日韓国人であれば航空券の予約は朝鮮名になり、外国人登録証を携帯しなければなりません。

当時から矢沢永吉さんは日本人としてのパスポートを取得していたということで、在韓である可能性は低いです。

矢沢永吉に身長サバ読み疑惑?公表180センチと実際の大きさ

矢沢永吉さんのライブに初めて行く方の多くが、矢沢さんのスタイルの良さ、シルエットのかっこよさに圧倒されます。

矢沢永吉さんは身長180センチとかなり長身です。昭和から活躍するミュージシャンの中では特に背の高さが際立っていましたね。

しかし、一部では実際の身長はもっと低いのではないか?身長コンプレックスがあってシークレットシューズで誤魔化してるのではないか?と疑惑が出ています。

普段矢沢さんがどれだけの底の高さの靴を履いてるか不明ですが、過去に同じ身長180センチのイチローさんと並んでも、背の高さはほぼ一緒で、公表通りに180センチはある印象です。

仮にシークレットシューズだと、股の位置でバレたりするのですが、位置的に変わらないので、普通の靴で並んだ結果イチローさんと対等な身長になっていると思われます。

今の矢沢永吉の身長が177.5センチの可能性

実は昔に矢沢永吉さん本人が「身長は179・5cmだけど、面倒だから180cm と言っている」とラジオで言及されたことがありました。

わずかではありますが、身長をサバ読んでいることは事実ということになります。

現在の矢沢永吉さんの年齢的に、身長が縮んでることが想定できます。

人は歳を取ると膝の軟骨が磨り減ったり背骨が猫背気味になったりし、60代男性で平均2cm背が縮むといわれているので、現在の矢沢永吉さんの身長は177.5センチかもしれませんね。

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