40年以上もの長い間、日本ロックシーンの最前線にいる矢沢永吉さん。

誰もが知るミリオン曲が何曲もあるわけではないですが、多くのコアなファンを抱え、コンサートにグッズ、施設などで莫大の利益を稼いでいます。

矢沢永吉さんの過去から現在までの暮らしぶりを調べ見てると、信じられないほど素晴らしい自宅に、車、自社スタジオやクルーザーに驚くばかり。

一体、いくら稼いだら矢沢永吉さんのような暮らしができるのでしょうか?

また、現在の時点、矢沢さんの年収はコンスタントでいくらで、所持してる資産はいくらほどになるのでしょうか?

矢沢永吉さんの収入考察と合わせて、これまで所持してきた家や車などを振り返ってみたいと思います。

矢沢永吉の年収は平常運転なら5億は余裕?ライブチケットとグッズとDVDと印税

矢沢永吉さんといえば1970年台からソロとして活躍し始め、当時にして武道館などの大箱を熱狂的なファンで埋めた伝説を持っています。

昔から地方のホールからファイナルの武道館まで長期間でハードなツアーを組み、高齢になった今でもそのスケジュールをこなしています。

矢沢永吉さんの収入源の大半は、そのハードなツアーによってもたらされています。

毎年行われるコンサートツアーは、合計で観客動員数が15~20万人、チケット収入は13~15億円ほどになります。

毎年デザインが変わり、在庫を残さず売り切るグッズはレア感が強く、同年限定のタオルやミニカーは定番化しており、古いファンの方まで買い足すので、グッズ売上も含めると30億前後になっていると想像できます。

その年のライブは必ずDVD化され、多くのコアなファンが毎年当たり前のように購入します。

チケット代+グッズ+DVDだけでも4億は収入として入ってると想像できます。

今では多くのアーティストが当たり前にやっているビジネスモデルですが、これは矢沢永吉さんが90年代頃から先かけて作った仕組みです。

熱狂的なファンを高齢になっても飽きさせず、稼ぎパターンを継続させているのは矢沢さんぐらいじゃないでしょうか?

ただテンプレとしてやっているのではなく、体調管理の徹底、ジムでのトレーニング、新曲を意欲的に作り続けているという努力が裏側にあるのを忘れてはいけません。一番すごいのは、人として間違ったことをしない、ブランド”矢沢”を傷つけない配慮だと思いますが。

もちろん、矢沢永吉さんの収入源はライブ関係だけではありません。

アルバムTOP10入り数No.1の実績と根強いファンによる印税。キャロルの権利収入

矢沢永吉さんの魅力は楽曲とライブパフォーマンスの素晴らしさがベースにありますが、その上で人間性や波乱万丈なキャリアのストーリー性が人を惹きつけます。

キャリアが始まって半世紀近く経ち矢沢さんですが、若い世代まで知るような歴史的な名曲はありません。しかし、作品数や売上の安定感は圧倒的で、アルバムのトップ10以内の回数は日本記録を保持しています。

矢沢永吉さんには長年のコアなファンが多く、日本全国に非営利のファンクラブの支部が存在し、ファンが交流するようなバーやスナックも多くあります。

多くの熱狂的なファンが自分らで集まって矢沢さんの曲をカラオケで歌ったりもするので、カラオケ印税だけでも凄まじい金額になっていると考えられます。

また、現在では那須川天心、古くはイチローさんや三浦大輔さんのような、矢沢永吉さんの楽曲を好んで自分のテーマにする人も多く存在するので、その使用料もなかなかです。

伝説のバンド「キャロル」の権利も持っているということで、テレビで「ファンキーモンキーベイビー」が流れるたびに矢沢さんの収益となっています。

以前に所ジョージさんがCMで一瞬流れる自分の曲の使用料だけで巨額と語ったことがありましたので、キャロルの楽曲の使用料も凄まじいと思います。

長者番付での実績。CM出演やスポンサー収入、メディア出演のギャラも高額!

ミュージシャンとしての興行収入、印税収入、使用料だけでも大富豪な暮らしができます。

それだけでなく、顔や名前を貸すタレントとしても高給取りです。

ある週刊誌ではTV出演1本で400万、CM一本で1~2億と出ていました。

ブランド”矢沢永吉”だけで1年で何億も稼いでいることがわかります。

長者番付に登場するようになると、1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位を記録しました。

現在は番付は公開されなくなりましたが、未だに歌手部門のトップに君臨していることでしょう。

矢沢永吉の資産は100億?赤坂の巨大ビルとスタジオ。全国に別宅・別荘がたくさん?

矢沢永吉さんの年収はアベレージで5億はあると考えられます。表から見てわかる金額で5億ほどなので、実際はもっとある可能性もありますね。

以前に矢沢さんの資産が100億はあるという噂を聞きましたが、2004年に巨額の借金を返した後に赤坂に建てたビルを見れば納得できます。

事務所兼スタジオ兼バーでありながらも、中には矢沢さんのグッズを買うことができる「diamond moon」というショップも入っています。

リハーサルで使用することもあるということで、ライブ期間中は常に多くのファンが駆け付けてます。

出待ちの側に、自分の利益になるグッズ販売をするというのはビジネスセンスの塊ですね。うるさいだけの出待ちがお客さんになるのですから。

矢沢永吉の資産って何?別荘や別宅

毎年、巨額の収入を手にしている矢沢永吉さんですが、何を購入して資産にしているのでしょうか?

やはり、別荘や土地というのが一番現実的だと思いますが。

矢沢さんは過去に別荘というもの対して、「別荘なんていらないだろ」とネガティブな発言をしていたことがあります。だからこそ、家を建てる時には理想を注ぎ込んでいるのでしょうね。

それでも、赤坂のスタジオの入ったビル以外の資産で100億って、具体的に何を保持しているのか気になります。

山梨県の山中湖の一件があったので、本当は保持してるけど、またファンが迷惑行為をするということで、まったく興味がないポーズをしているだけの可能性もありますね。

矢沢永吉の自宅。南麻布/アメリカ・ロサンゼルス/山梨の豪邸。別宅別荘も所持?

長く大金を稼ぎ続けている矢沢永吉さんですが、歴代の自宅も素晴らしいです。

かつては横浜の小さなアパートからキャリアが始まり、ソロとしてブレイクし、自宅はどんどん豪勢になっていきます。

90年代から所持しているアメリカ・ロサンゼルスの豪邸は、過去に公開されたことがありました。

1997年頃から現在の嫁と子供たちと一緒に住んでいた自宅です。

広いエントランスに椰子の木、センスの良い緑がいかにもアメリカの豪邸という感じです。

自宅プールの底には自身のロゴがあります。

暖炉付きの白を貴重にした広くて美しいリビングダイニング。

衣装部屋では、数が多すぎて収納に困ってる様子でした。

仲間スタッフとの憩いの場になっているであろうビリヤードの部屋。絵になりますね。

アメリカ・ロスの自宅の近くには自分専用のクルーザーも所持しています。

全長70フィート(約21m)の大きさということで、都内のマンションと変わらない広さですね。クルーザーの中には4部屋(各地トイレ完備)、レストラン並みのキッチンを完備してます。

クルーザーの照明や備品はアメリカやヨーロッパから選んで調達したそう。

矢沢永吉の麻布の一等地にある15億の豪邸。地上4階地下3階のライブハウス付き

矢沢永吉さんは日本屈指の高級住宅街である南麻布にも凄まじい豪邸を構えています。

坪300万円は下らない場所で土地代だけで7億円以上建物だけで7億円以上。合計すると15億円の大豪邸です。

740平方メートルの広大な敷地に地上4階地下3階という構えで、子供家族と一緒に住んでるそうです。

入り口入って1階はゲスト用、2階は矢沢さんのスペース。それより上がきっと子供家族ですかね?

地下には本格的なバー、スタジオ、そしてなんて50人の収容が可能なライブハウスまで入っています。

スタジオに関しては過去に公開したことがあります。

地下3階もあるということで、おそらく映画用の部屋や、音楽鑑賞用のリラックスできる部屋など贅沢な施設がたくさんあることでしょう。

山梨県山中湖にあった家は週刊誌に暴露され荒れ屋に?現在は更地

矢沢永吉さんがマリアさんと再婚したばかりの頃、日本では山梨県の山中湖に自宅を構えていました。

やはり、壮大な不倫の末の再婚だったということで、週刊誌の記者を警戒する意味で、あえて田舎暮らしを考えたのでしょう。

ただ、週刊誌に山中湖の自宅の場所などが公開されて以降は、家族とは住めない状況になってしまいました。

地元の人には早く出て行って欲しいと言われていたとか。

週刊誌に載ったことで、ファンが多く訪問し嫁はノイローゼ、子供は不登校になってしまい、すぐに引っ越したそうです。

引っ越した後も空き家になった自宅に侵入し悪戯する輩が多くいて、地元への迷惑は続きました。

結局、現在は取り壊されて更地になっているそうです。

売れる前は横浜・弘明寺や川崎のアパート。下積み時代の矢沢永吉

矢沢永吉さんは幼少期に生活保護で生活するおばあちゃんに引き取られ、1部屋の小さな家で暮らしていました。

広島を出た後にたどり着いた横浜でも、大人数で雑魚寝するようなひどいアパートに住んでいました。

まずは「矢沢さんが横浜に着いて最初に住んだ場所」である、弘明寺に向かうことにした。『成りあがり』によると「横浜駅で降りたあと、伊勢佐木町を歩いていると『ボーイ求む』という宿泊込の食堂の張り紙を見た。

商店街の張り紙に書いてあった住み込みの仕事を見つけると、その日から掃き溜めのような弘明寺のアパートに住んだそうです。

前嫁・すみ子と出会い同棲を始めると川崎の飲食店の上のアパートで暮らしました。

「ここの2階に住んでたよ。今から40年以上前この店をオープンした年に、矢沢さんと奥さんと子どもの3人で『住みたい』と頼んできた。その後奥さんの母も隣の部屋に住むようになったよ」とのこと。 

飲食店「のり江」の2階部分に住んでいたということですが、現在もお店は健在で、多くの矢沢ファンが訪問する聖地となっています。

不倫相手・マリアとの隠れ家は表参道の「ビラ・ビアンカ」

矢沢さんは1978年頃から現在の嫁・マリアさんと不倫関係となります。

当時、ふたりの愛の巣だったのが表参道にある「ビラ・ビアンカ」というデザイナーズマンションです。

おしゃれでかっこいいマンションで、しかも都会の中にあるということで現在でも人気で空きは常にありません。

自分の商品価値を大切にする矢沢さんがストーリー性を感じて借りたのかな?と納得できる物件です。

矢沢永吉の愛車は28歳の頃に買ったベンツ450S。運転手付きリムジンやリコンカーン、ポルシェ、アウディ

矢沢永吉さんは売れる前はキャデラックに憧れていたそうです。

しかし、初めて買った高級車はベンツ450Sでした。ショールームで一目惚れして買ってしまったそうです。

28歳の頃に購入し長く乗っていたそうです。物持ちが良いのは人柄の良さですかね。

現在、70歳に入った矢沢さんですが、なんと当時の450Sをフルメンテして未だに愛車にしているそうです。

渋すぎますね!

もちろん、矢沢永吉さんの愛車はこの車だけでなく、普段移動するベンツやら、たくさんの高級車の目撃情報があります。

過去にポルシェが盗難?アウディ、リンカーン・コンチネンタルなどの高級車を6台をサイコロで

いつかの矢沢永吉さんはアウディ、リンカーン・コンチネンタルなどの高級車の代名詞を片っ端かた保有し、番号で分けて、サイコロで乗る車を決めていたそうです。

つまりは高級車を6台同時に所持していた時代があったということですね。

ちなみにポルシェは盗難に遭ったことがあるそうです。かわいそうですね。

矢沢永吉のオーストラリア35億持ち逃げ事件。詐欺で借金35億を15年で返済

矢沢永吉さんの伝説の中で最もインパクトが強いのは35億の借金ですね。

1987年頃からコツコツと投資していた海外事業。その間に入っていた人に持ち逃げされ35億という借金を背負ったのです。

当時の矢沢永吉さんの構想ではオーストラリアの高級エリア・ゴールドコーストのサーファーズパラダイス地区の一角に、24階建ての高層ビルを建設し、そこにレコーディングスタジオや音楽スクールを入れるプロジェクトを立ち上げるとのことでした。

信用していたH・K氏(当時49歳)と一緒に、現地法人カムストック・コーポレーション」を設立し、敷地1万平方メートルを20億円で、同内ビルを約11億円で購入、プロジェクトの資金約4億円を提供した矢先での持ち逃げです。

この35億という被害額はオーストラリア史上2番目に巨額だったそうです。

そんな35億の借金も返済が終わるのは2003年頃。メディアでは1998年に借金が発覚したので5年で返したと言われていましたが、実際は1988年から15年かけて返したそうです。

返済能力を高めたことで現在の暮らしがある?

矢沢永吉さんは借金を背負った後はお酒に逃げたそうですが、嫁・マリアさんに励まされ、返済のために必死になって仕事をしました。

長いコンサートツアーやグッズの売り方、映像作品の売り方などのビジネスモデルの基盤ができたのはこの時期で、現在の矢沢永吉さんを作ったきっかけになった時期だったと思います。

35億の借金を15年ということは、1年で2億4000万ずつ返していた計算になります。

そう考えると、税金のことを含め、自分や家族の暮らしに必要なお金も計算すると、年間で最低でも6億は稼がないと返済しながら生活をすることはできませんね。

当時、苦しい思いで1年で6億を稼ごうと色々考えて走り回った結果が、2003年以降の裕福な暮らしにつながったことでしょう。

 

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