かつては地元・東京都赤羽の団地にて母親と住んでいたエレファントカシマシの宮本浩次さん。

ぶっ飛んだキャラでいかにもロックスターな印象が強い彼ですが、実はかなりのマザコンです。

母親がそばにいる暮らしが好きだった宮本さんは、一人暮らし自体するのが遅いです。

24歳まで赤羽にある団地で母と暮らしていたのです。

宮本浩次さんが親の元を離れるのが遅かった理由には、バンド結成して売れるまでが遅かったことが言えます。

それと23歳くらいのときには(3~4年付き合った)年上の彼女が三軒茶屋に住んでおり、そちらで半同棲のような生活をしていたのも理由でもあります。

でも、活動拠点が東京で、実家が東京にあるのだから、わざわざ家を出る必要もないですね・・・。

今日は、宮本浩次さんが母と暮らす赤羽団地を出た後の、ひとり暮らしをしていた自宅についてまとめてみたいと思います。

ひとり暮らしは母(実家)と同じ赤羽団地(家賃4万)

24歳で家を出た宮本浩次さんですが、一番最初に一人暮らしした場所は、まさかの実家と同じ赤羽台団地の中です!

宮本浩次さんの実家は赤羽台団地の17号棟の409号室だったのですが、宮本浩次さんが一人で移り住んだのは同じ団地の10号棟3階でした。

確かに団地だと家賃も安いですし、実家が近いとご飯も食べに行けて便利ですが・・・。

宮本さんは実家にいた時は四畳半が自分の部屋だったので、団地の部屋全部が自分の部屋になるだけ広くて充実はしていたことでしょう。

ちなみに一人暮らしを始めた25歳の頃、宮本さんはまだまだ売れていませんでした。普通に考えて都心の高い場所に住むことは難しかったのかもしれませんね!赤羽台の家賃は4万円台だったというので、かなり安いですね。

また、宮本さんは失恋してしまった際に、抜け殻のようになってしまい、その時期は毎日のように実家でご飯を食べていたそうです。ちなみに宮本さんのお母さんはトンカツ、パスタ、ハンバーグをいっぺんに出して食べさせようとするような料理好きだったみたいです。当時の宮本さんの細さを見ると意外ですね。

無気力になって動けなくなっても、そばに母親がいると思えば心強いですね!

宮本浩次は生粋のマザコン!

実家に長く済んでいた話や、一人暮らしの場所も近所をチョイスした経歴を見てわかりますが、宮本浩次さんはお母さんのことが大好きです!

実は音楽を宮本さんに勧めたのも母で、バンド活動をしたいと言った際に周りの反対から守ってくれたのもお母さんでした。

生活のことだけでなく、ミュージシャンとして今の地位まで支えてくれたという自負があるからこそ、堂々とマザコン宣言ができるのでしょう。

宮本浩次は32歳で駒込の1DK家賃19万のマンションへ

長く実家と同じ赤羽台団地で一人暮らししていた宮本浩次さんですが、32歳の頃に駒込の新築マンションに引っ越しされたそうです。

公団マンションで6階、広さは50㎡もあり、家賃は19万とそれなりに高額でした。

赤羽から遠い駒込に引っ越したということで、今までのようにお母さんに簡単に甘えることはできなくなり、実質、ここからが本当の宮本さんにとっての一人暮らしだったと言えるでしょう。

が、実はこの時期の宮本さんは、今度は当時の恋人にご飯ばっかりを作らせていたそうです。つまり彼女がお母さん代わりなったということで、実家から遠く離れても大丈夫になったということですね・・・。

しかし、この駒込のマンションには、1年ちょっとしか住まなかったそうです。

引っ越した理由はわかりません。

駒込の次は高輪のマンションに引っ越したそうです。

駒込から高輪の高級マンションに1年で引っ越し

赤羽台の団地からようやく離れ、駒込に引っ越した宮本浩次さんでしたが、その後は僅か1年後に高輪にある高級マンションに引っ越しされました。

オートロックの3LDKで、広さは駒込のマンションの倍の117㎡でした。家賃は予算20万で探していたそうですが、結果的には大幅にオーバーしてしまったそうです。

この高輪のマンションには政治家も住んでいたそうで、かなりハイスペックな住居だったことが想像できます。

ちなみにこのマンションに住んでいたときに、部屋の真ん中にポルシェのボクスターを置いていたそうで、絵に描いたような勝ち組のような生活をしていたそうです。

しかし、この時期にあのフライデーの事件が起きてしまったのです。

高輪から引っ越し後も都内の高級マンションを転々とする

ハイグレードな高輪の高級マンションもわずか1年で出て行ってしまったそうですが、その後はいくつかの高級マンションを転々としていたみたいです。

34歳から37歳ぐらいの間に住んでいたマンションは「DEAD OR ALIVE」のMVにチラッと登場してるみたいです。

ベッドの上でタバコをふかす宮本さんですが、このお部屋が実際に宮本さんが住んでいた部屋だと言われています。

MVを観ればわかりますが、窓の外に木と葉っぱが見えるので、タワーマンションのような高層マンションに住んでたわけではなさそうです。

ドキュメント「扉の向こう」で宮本が住んでた家

宮本さんが37歳の頃に、バンドのドキュメントフィルム「扉の向こう」がリリースされました。

そのドキュメントの中ではスタジオで怒り苦しむ宮本さんの姿があったり、当時住んでいた部屋での暮らしぶりが映し出されていました。

音楽に集中するために自ら趣味の車も手放し、マンションも引っ越したというストイックな時期です。深夜4時にスタジオを出て、一人暮らしの部屋へと帰るという毎日をひたすら繰り返すだけです。

ファンの間でも人気の作品で、この当時の宮本さんの姿に憧れる方が多いようです。

この時期に住んでいたマンションはごく普通のマンションで、音楽に集中するために引っ越したとされます。

ただ、なぜいきなり音楽に集中しようと思っていたのか?なんとこの少し前に、一緒に住んでいた女性にお金や資産の管理をまかせていたものの、その女性がある日家の物とお金を持って逃げてしまったそうです。

宮本さんは自分が悪かったということで警察に届けは出してないみたいです。

財産のほとんどを持ってかれたということで、仕事をしなきゃ生活できない状況になり、高級マンションから普通のマンションに引っ越し、さらには今まで以上のヒット作を作ろうともがいてたということです。

宮本浩次の現在の自宅。電車移動で最寄り駅を目撃?浦和説も

ポルシェを持ち逃げされた後の宮本浩次さんの生活は、普通に電車に乗るような質素な生活をしていたそうです。

もともと電車の中で本を読むのが好きだった宮本さんからすると、むしろ歓迎だったのかもしれません。

ただ、ファンの間で目撃証言が多く出たり、当時住んでいた自宅の最寄り駅がバレしまったりしてたそうです。

中にも埼玉の浦和に実は住んでるのではないか?との憶測もありました。(流石にそれはなさそうですね)

ただ、当時は宮本さんが郊外の自然に憧れているような発言もしていたということで、都内を離れてる可能性もあるとされていました。

ところがね、ホントに充実した時間だったんですよね。湘南の海に行って、2時間、波に耳を向けているとか、近郊の山に登っていたら、鉄砲をポンポン撃っていて、なんでだろうと思ったらイノシシを撃ってるんですよね。イノシシが本当に歩いていて、その流れ弾に当たって死んだらどうしようとか思いながらその山を歩いたり。そういう自分だけの時間を作れたのはありがたかったですね。自分が生きてきた中で、いろんな転換点だったのかもしれないです。引用元:https://mantan-web.jp

2017年に紅白歌合戦に出場し、第二の全盛期を迎えたエレカシ。

宮本さん個人としても2020年にソロとしても紅白出場を果たしており、経済的余裕があるので、もっと良い場所に住んでる可能性が高いですね。

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