タレントの”みのもんた”さんといえば、昭和と平成、そして令和の初期にメディアで活躍された方です。

たくさんの冠番組を持ちながらも、自身の会社「ニッコク」の業務をこなすなど、人間離れした働きぶりは有名でした。

当時、睡眠時間2時間で過酷なスケジュールをこなしていたことは伝説として語り継がれています。

多くのジャンルで才能を見せるみのもんたさんですが、本業がニッコクの業務で、芸能界はあくまで副業だそうです。

気になるのは、どうしてみのもんたさんは会社の代表を勤めながらもタレント業として売れっ子に君臨できたのか?ということです。

どのような経緯を踏めば、みのもんたさんのような人生を歩むことができるのか・・・。

今日はみのもんたさんの若い頃からセミリタイアした現在までの経歴についてまとめて買いてみたいと思います。

また、芸能活動が失速する理由の1つになった息子の事件のこと、娘を含めた3人の子供についてもまとめて書いてみたいと思います。

みのもんたの学歴は立教大学系列。放送研究会に入りアナウンサー業に興味を持つ

本名 御法川法男 (みのりかわ のりお)
芸名 みんもんた
生年月日 1944年8月22日
身長 167cm
出身小学校 世田谷区立祖師谷小学校
出身中学 立教中学校(現・立教池袋中学校)
出身高校 立教高等学校(現・立教新座高等学校)。演劇部
出身大学 立教大学経済学部卒業
父親 水道メーター製造・販売会社「日国工業」の社長
兄弟 三兄弟の次男(兄はみのが生まれる1ヶ月前に他界。下は3歳下の妹。)
繁美(みのもんたのスタイリストとして活躍)
子供 男2人の女1人

若い頃のみのもんた。文化放送に就職しすぐに人気者!退職後はニッコクの営業マン

みのもんたさんのおとうさんは水道メーター製造・販売会社「日国工業」の社長であり、みのさんはとても裕福な家庭で育ちました。

次男として生まれましたが、兄が生まれたのは戦時中で、みのが生まれる1ヶ月前に他界しました。

みのさんは次男でありながらも長男のようなビシッとしてますが、3歳年下の妹がおり、兄は幼児の時点で不在だった為に、”実質は長男”のように育てられたのです。

学歴は中学から名門”立教大学”の系列に入学し、そのまま大学まで立教大学でした。

みのもんたさんは学生の頃から放送系の仕事に興味を持ち、大学では”放送研究会”に入っていました。

同じくアナウンサーの徳光和夫さんは大学の4年先輩であり、当時から

「アナウンサーはいいよ」

「これからはテレビの時代だよ」

と言われ、当時はまだ花形ではない職業だったアナウンサー業への憧れが高まったそうです。

そして、大学を卒業した後は、ラジオ局の”文化放送”に就職されました。

本当は第一志望はテレビ局のTBSだったのですが、TBSは不合格だったそう。同期でTBSに合格した久米宏さんのことを当時からずっと意識していたそうです。

第一志望のTBSではなく文化放送に入ったみのもんたさんですが、後のキャリアのことを考えれば、この時点でTBSではなく文化放送に入ったのは正解だったといえます。

みのもんたは就職した文化放送で人気者!当時からカリスマ性溢れ存在感を示す

テレビ局ではなくラジオ局の文化放送に就職したみのもんたさん。

入社して2年目に2年で「セイ!ヤング」にてラジオパーソナリティーに就任し人気者になると、「オールジャパンポップ」などでも存在感を示します。

「オールジャパンポップ」ではオープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」という軽快な音楽が流れるなど、完全に番組の”顔”となっていました。

ラジオのパーソナリティの他にもプロ野球の中継なども完璧にこなし、オールラウンドプレーヤーとして活躍されていました。

しかし、人事異動で営業部へ配転されると、1979年にみのもんたさんは文化放送を退社します。

文化放送へは12年在籍していたということです。

文化放送を去った後は、実家の会社に営業マンとして入り、10年間普通のサラーリマンのような毎日を過ごしました。

かつてのみのもんたさんの番組では、みのさんが普通の家庭の心配事などに口を挟んでいましたが、普通の会社員として合計で22年過ごした経緯があったからこそ、多くの方がみのさんのアドバイスに耳を貸したということです。

現在のみのもんたは”ほぼ引退”?降板理由は病気と年齢か

テレビで見ない日はないほど売れっ子だったみのもんたさん。

しかし、ある時期から冠番組は減り、2022年現在では地上波のレギュラー番組はゼロです。

やはり、2013年に自身が犯したセクハラ疑惑や、近い時期に息子が窃盗容疑で逮捕されたことも影響してるとされています。

多くがスキャンダルからペースを崩してダメになったという印象を抱いてると思いますが、実際は違います。

みのもんたさんが冠番組を降板することとなった多くの理由は”年齢や病気”だそうです。

みのもんたさんは後に、自分が高齢化によって、共演する芸人さんのペースについていけなくなったことを告白してます。

みのもんたの病気”パーキンソン病”。現在も元気

みのもんたさんは現在”パーキンソン病”を患っています。

身体中の筋肉などが著しく低下する病気です。

今では朝起きるのがとても大変らしいのですが、みのもんたさんは病気をネガティブに捉えておらず前向きです。

2022年には「爆買い」にゲスト出演し、ワインと油っこい肉を平らげてました。

しかし、声にハリがなくなり、歩くスピードも遅く、さすがに全盛期の若々しい時代とは変わってしまった印象でありました。

芸能界に未練はないとのことなので、今後は楽しい余生を過ごすことでしょう。

みのもんたの3人の子供。息子2人(隼斗/雄斗)と1人娘(なみ)

みのもんたさんは2人の息子がテレビ局員のエリートだと知られていました。

2013年に窃盗事件で逮捕されて以来、ネガティブなイメージをもたれていますが。

長女 御法川なみ
長男 御法川隼斗
次男 御法川雄斗

 

実は娘も一人いて、晩年のみのもんたさんはのスタイリストとして活躍していたそうです。(以前は生前の嫁・靖子さんがスタイリストであった)

長男の御法川隼斗はTBS局員。若い頃は次男ばりにヤンチャしてた?一般女性と派手な結婚式

みのもんたさんの長男”御法川隼斗”さんは慶應義塾大学を卒業し、TBCに就職したエリートです。

2005年に結婚した際は、多くの大物有名人が駆けつけて話題になりました。

結婚相手が芸能人なのか?と思いきりゃ、”山本裕美”さんという一般人の女性でありました。

長男は若い頃のみのもんたさんに似てて、とても男前です。嫁さんも美人です。

ただ、過去に長男も次男に負けじとヤンチャしてた過去があると噂されていました。

・2013年の次男の事件当初、ネット上で名前が上がっていたのは長男だった。

・学生の頃に横須賀を拠点にする評判の悪いチーマーのメンバーの一員だったという噂がある。

↑みたいな感じです。

ただ、父のみのもんたさんが若い頃に憧れたTBSに入ったということで、お父さんの夢を叶えた良き息子という印象も強いです。

ちなみに、今では制作側に回っているそうです。

2013年に窃盗で逮捕された次男・御法川雄斗。現在は父の会社「ニッコク」で地方の支部にいる?

みのもんたさん最大のスキャンダルといえば、次男・御法川雄斗さんが2013年に犯した窃盗容疑での逮捕です。

他人のキャッシュカードで現金を引き出そうとしたとして、警視庁は11日、日本テレビ社員御法川(みのりかわ)雄斗容疑者(31)(東京都港区高輪)を窃盗未遂容疑で逮捕した。

発表によると、御法川容疑者は8月31日午前1時10分頃、東京都港区新橋のコンビニ店で、近くの歩道に酔って眠り込んでいた40歳代の会社員のカードを使って現金自動預け払い機(ATM)から現金を引き出そうとした疑い。

次男も長男と同じく慶應義塾大学を卒業し、日本テレビに就職したエリートでありました。

次男も長男と同じく、学生時代からヤンチャだったという噂があります。

学生時代に学校敷地内の生協で組織的な集団万引きに関与し、父が学校の全クラスにエアコンを設置したという噂が出回っています。

2013年に窃盗容疑で逮捕されると日本テレビを退職。

その後に父の会社に入ったと言われていましたが、年金保険のために名前を置いただけと否定されました。

しかし、週刊誌には父の会社(ニッコク)の関西支部で仕事してる姿が取り上げられました。

夕方、ホテルに戻った次男に声をかけた。
――こちらでの生活はいかがですか?
 「お疲れさまです。すみませんね」
ひと言答え、ホテルへと入っていった。
新生活への不安とやる気が、入りまじった表情だった。

翌日、東京・六本木のニッコク本社前で、父・みのもんたを直撃した。
――最近、息子さんと直接お話は?
「別段、会ってないからね」
――じつは和歌山でお会いしました。
「行ったの? 元気でした? 根はまじめですからね」

現在はニッコクの関西支部で単身赴任で1日五千円のビジネスホテルに泊まりながら朝8時から夜5時まで働く生活を送っているそうです。

長女の”なみ”は父・みのもんたのスタイリストとして活躍?海外経験もあるエリート

一番謎が多いのが長女の”なみ”さんです。

長男次男と同じく良い大学を出ているみたいですが、大学名までは不明です。

海外留学の経験もあり、その後に研究者として勤めていたエリートであります。

みのもんたさんは嫁・靖子さんが生前にスタイリストを勤めていたことが有名ですが、嫁の死後は長女のなみさんが跡を継いでスタイリストを担当していたそうです。

現在、父がセミリタイア状態であるということで、スタイリストの仕事はほとんどしていないことでしょう。

おすすめの記事