元衆議院員の松本龍さんが死去されました。

あの方といえば、かつては2011年の大震災にて、問題発言が問題視された方。そして、のちに復興担当相を辞任してました。

あの騒動の方から現在まで、松本龍さんはどのような人生を歩んでいたのでしょうか?

松本龍の死因は肺がん。喪主は嫁の珠美(たまみ)

松本龍さんが亡くなられたのは、今日の2018年7月22日でした。

死因は肺がんです。

福岡の病院で亡くなられたそうです。

松本 龍氏(まつもと・りゅう=元民主党衆院議員、元復興担当相)21日午前0時55分、肺がんのため福岡市内の病院で死去、67歳。

福岡市出身。葬儀は23日午後1時から福岡市中央区古小烏町70の1のユウベル積善社福岡斎場で。喪主は妻珠美(たまみ)さん。引用:時事通信

震災の際の悪印象が強かっただけに、報道もそれなりに大きかったです。

松本龍の現在まで

松本さんは2011年6月、復興担当相として東日本大震災の被災地を訪れた際に宮城県庁で「知恵を出さないやつは助けない」などと発言し炎上しました。

就任してわずか9日目で辞任しました。

その後は2012年の衆院選で落選し、2年後の2014年の衆院選には出馬しませんでした。

もともと、お金はある方だったので、政治家としての活動をしなくても余裕だったことでしょう。

ただ、あの一件で私生活はそれなりに面倒だったみたいです。

震災の上から目線で炎上。娘が学校に行けなかった?

松本さんで思い出されるのは、やはり震災の際の大失態ですね。

多くの方が、なぜ松本さんがあのような態度だったのか不思議だったことでしょう。

あの事件は松本さんだけでなく、家族にも多少の影響があったそうです。

就任からわずか9日で辞任した松本龍前復興担当大臣(60)。被災者の気持ちを逆なでするような暴言の数々には、驚かされるばかりだが、松本氏とはいったいどんな人物なのだろうか。

1990年、社会党から衆議院議員選挙に出馬して初当選し、これまで当選7回を数える松本氏。祖父の治一郎氏は「部落解放の父」と呼ばれた国会議員で、父の英一氏も参院議員だ。

昨年10月に公開された資産総額は7億6074万円で全閣僚中(辞任前)、断トツの1位だった。約7000万円という平均資産額の10倍を超す超セレブ政治家なのだ。民主党の関係者はこう話す。

「祖父の代から地盤を受け継いでいるうえ、実家は地元で有力な建設会社とあって資金力もあるから選挙に強く、苦労せずに7回連続当選を果たしています」

いわば典型的なお坊ちゃま。その上から目線は、高校時代からあったようだ。同級生もこういっている。

「今回の発言は別に驚かないです。昔から松本龍は松本龍。高校時代から、あんな感じでしたよ」

部活動は新聞部で部長を任されていたという。

「とにかく時間にうるさいことで有名だった。遅れる人を待たない。卒業後に同窓会をしたことがあって、開始時刻になっても、まだ来ていない人が何人かいたんですが、時間ピッタリに始めてしまったほどです」(別の同級生)

ところが、家庭で見せる顔はちょっと違うよう。2002年、衆議院で環境委員長を務めていたときには自宅トイレの電気を消し忘れ、当時中学3年生だった長女に「環境委員長!」と注意され謝ったとか。そのとき、松本氏は「教育的指導だな」と苦笑いしたという。

「今回の暴言騒動では、子供がツイッターで松本さんの評判を生で見てしまって、学校に行けなくなったとぼやいているそうです。家族には上から目線どころか、弱いんですね」(前出・民主党関係者)

※女性セブン2011年7月21日号

当時2011年もツイッターの影響力は凄まじかったです。

震災の時期なので、休むこと自体はできたかもしれませんが、地元ではずっと言われ続けたことでしょう。

現在は何をしてる?工藤会は関係なし

松本龍さんは有名な建設会社(ゼネコン)の家系に生まれました。

その際に、地元のある組織と深い関係にあったのではないか?という噂がありました。

松本さんの祖父は「部落解放の父」と呼ばれた、「松本治一郎」元参院(副議長)で、根っからおぼっちゃまです。

長く政治家として活躍された松本さんですが、12年の衆院選で落選、14年の衆院選には立候補しませんでした。

大臣を辞めてからは一般人となって、その後は活動の情報などがありませんが、実業家としては福岡空港の筆頭地主(大地主)でもあったようで、収入には困っていなかったようです。

一部では黒い噂もありますが、その組織(工藤会)っが壊滅の危機にあるということで、今後、本当に関係があったのか、なかったのか明かされることでしょう。

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