吉永小百合の若い頃(年齢順)。夫/岡田太郎と子供と自宅と癌。渡哲也との昔

日本を代表する大女優・吉永小百合さん。

古くは吉永小百合さんが好きな人のことを”サユリスト”と呼びました。

昭和の時代は年間ブロマイド売上1位を3年も記録し、多くの名作映画に出演しました。

歳を重ねた現在でも美しい吉永さんですが、若い頃の美しさは圧巻です。

今日は吉永小百合さんの若い頃について年齢順に振り返ってみたいと思います。

また、結婚した岡田太郎さんや、夫の癌や自宅、子供、昔に熱愛になった渡哲也さんとの関係についても書いてみたいです。

吉永小百合の経歴・学歴プロフィール。若い頃の奇跡を年齢順にまとめ

芸名 吉永小百合
本名 岡田小百合
生年月日 1945年3月13日
出身地 東京都渋谷区
血液型 O型
身長 155センチ
既婚・夫 1973年28歳で結婚。旦那は岡田太郎
職業 女優・歌手
出身小学校 東京都渋谷区立西原小学校
出身中学 東京都渋谷区立代々木中学校
出身高校 東京都立駒場高等学校から精華学園女子高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)に転校。(多忙で中退)
出身大学 早稲田大学『第二文学部』。西洋史学を専攻し馬術部に所属。成績優秀者として表彰。

吉永小百合の幼少期から全盛期の20代までの経歴

1945年3月13日 0歳 東京都渋谷区で誕生。生まれた当時は戦時中。
1951年 6歳 東京都渋谷区立西原小学校入学
1957年 12歳 東京都渋谷区立代々木中学校入学
1957年 12歳 ラジオ東京の連続ラジオドラマ赤胴鈴之助』でデビュー。同年にテレビデビュー。
1959年 14歳 松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。
1960年 15歳 渋谷区立代々木中学校卒業、東京都立駒場高等学校全日制普通科入学。日活撮影所に入社。
1961年 16歳 私立精華学園女子高等学校(現在の 東海大学付属市原望洋高等学校)に転入。
1962年 17歳 映画『キューポラのある街に主演。同年の主演映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒット。精華学園女子高等学校中退。
1964年 19歳 ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位
1965年 20歳 早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学。
1966年 21歳 映画「愛と死の記録」で渡哲也と共演し、後に熱愛関係。
1967年 22歳 映画「青春の海」で渡哲也と2度目の共演。
1968年 23歳 ブロマイドの年間売上実績で女性部門1位
1969年 24歳 早稲田大学を卒業。2年連続でブロマイドの年間売上実績で女性部門1位。映画「嵐の勇者たち」で渡哲也と3度目の共演。両親の反対で渡哲也を破局。
1971年 26歳 後に結婚する岡田太郎と出会う。
1973年 28歳 岡田太郎と結婚する。

吉永小百合の若い頃の美しい姿。10代、20代、30代それぞれの品格

東京生まれ東京育ちの吉永小百合さん。

父親の吉永芳之さんは薩摩藩士族の末裔で、東大法学部卒業のエリート。さらには母親の吉永和枝さんも教養ある女性で、親族には出版業に関わる方が大勢いました。

吉永小百合さんは三姉妹の真ん中の次女です。

5差年上の姉は現在の筑波大学を卒業した後に心理カウンセラーになっています。

2歳年下の妹は東京美術大学を卒業した後に、小学校の先生になっています。

↓吉永小百合さんの家系を簡潔にまとめてみました。

父親 吉永芳之(享年79歳)。東大法学部卒。九州耐火煉瓦に就職し、外務省関係の仕事。
母親 吉永和枝(享年90歳)。歌人。ピアノの教師。祖父・川田友之は出版社「大観社」を経営。祖母・川田泰代は婦人画報の編集長。
長女(5歳上) 名前不明。東京教育大学(現・筑波大学)→都庁→児童心理カウンセリングの世界で女性管理職
次女 吉永小百合。歌手で女優。
三女(2歳下) 名前不明。東京芸術大学を卒業。小学校の先生。

”小百合”の名前の由来は、母親の吉永和枝さんが歌人で、短歌結社『潮音(ちょうおん)』に所属していたということで、母の短歌から由来されています。

「戦いのさなかに生(あ)れて小百合の崇き気負いを持ちて生き抜け」(戦争の中で生まれたけれど、ユリの花のように誇り高く生きていってほしい

とされています。

華麗な家族の経歴を見てると、何不自由なく育ったお嬢様のように思われますが、実際は相当貧しかったそうです。

吉永小百合さんが誕生した1945年は戦争最中で、お父さんも兵隊に出るなど、色々と苦労しました。

お父さんは元々は東京大学法学部を卒業後、九州耐火煉瓦に就職し、外務省関係の仕事をするエリートでお金持ちでしたが、映画ファン雑誌「シネ・ロマンス」を刊行し失敗。多額の借金を負うことになったのです。

子供の頃の吉永小百合さんは、家族の貧しい暮らしを見て、新聞配達の仕事がしたいと申し出たこともあったそうです。(猛反対され却下)

また、税務署が自宅に押し寄せ、自宅の家財道具にラベルを貼っているのを見て激怒し、子供ながらハタキを持って税務署の職員に立ち向かったというエピソードもあります。

世間の思う次女のイメージは美人でワガママかもしれませんが、吉永さんはそんな次女のイメージからかけ離れた優しくて強い女の子だったということです。

10代の吉永小百合。ラジオと女優・歌手で活躍。高校転校や退学

父の事業の失敗で金銭的にひもじい想いをした幼少期。

しかし、小学6年生の頃にラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューを果たすと、実家の暮らしを多少なり助けることができるようになりました。

一番左に映る女性が小学6年生の頃の吉永小百合さんですが、当時にしてすでに洗練された美少女でありました。

同じドラマに”しのぶ役”で共演していた藤田弓子さんは、当時からキラキラし目立っていた吉永小百合さんとの衝撃の出会いを語っています。

(オーディションの)最終審査に行ったら、女の子が一人いて、それが吉永小百合ちゃんだったの。もうめちゃめちゃキレイで可愛くてね。

母と2人で「1人しか選ばないんだから、これはもうダメね。帰りましょう」って帰ろうとしたらラジオの人が飛び出してきて「弓子ちゃん、これはラジオですよ。ラジオ」って言って止められたの。ラジオだと顔が見えないからね(笑)

小百合ちゃんは何て言ったって天下の美少女で、私ははっきりしゃべったのとマイクに乗る声だったんでしょうね。2人とも受かったんですよ。

なんと、吉永小百合さんの可愛さに圧倒されて、お母さんと一緒に不合格を直感して帰ろうとしたそう。現実的な親子ですね・・・。

10代の吉永小百合の可愛らしさ。若い頃から色気あり

吉永小百合さんは12歳で映画「朝を呼ぶ口笛」に初出演し、15歳にして映画「ガラスの中の少女」で初主演を任されます。

当時にして吉永小百合さんの容姿の良さは圧倒的で、男女かかわらず、多くのファンを獲得します。

⇧10代の頃の吉永小百合さんのカラー写真がありますが、現代にいてもぶっちぎりで人気者になれほどの可愛らしさです。

ただ可愛いだけでなく、お嬢様的な高貴な雰囲気も持ち合わせており、当時の他の女優を寄せ付けない人気を誇りました。

17歳の頃には映画『赤い蕾と白い花』の主題歌『寒い朝』でレコードデビューし20万枚のヒットを記録しました。

19歳の頃にはプロマイドの年間売り上げランキングで1位を獲得するなど、多才な魅力と絶対的な美しさで時代を作りました。

20代の吉永小百合が若い頃の全盛期?早稲田大学入学し知的に、結婚して洗練される!

10代の頃の吉永小百合さんは、アイドル的な要素が強くありました。

しかし、20代になると女優としてのオーラが別格に高まり、10代の頃よりも味のある女性になりました。

20代の頃の吉永小百合さんの顔は、整い方は文句の付けようがないほど完璧。

美貌に加えて女優としての役の幅を広げ、純粋さ、ズルさ、情けなさなど、いろんなタイプの女性を見事に演じ切りました。

当時、世の中の女性のファッションや髪型の多くが吉永小百合さんの影響で、圧倒的なカリスマ性を誇りました。

20代からは渡哲也さんなど、熱愛の噂になる男性が現れ、28歳の頃には結婚を果たしました。

私生活での変化が多かっただけに、一気に大人の女性に変貌し、洗練されていったのです。

吉永小百合の若い頃の全盛期は30代?清く正しく美しい女性像

20代の頃の吉永小百合さんは健気で弱々しい役柄が多かっただけに、吉永さんのイメージも”おとなしいお嬢さん”というのが主流でした。

それが30代に入ると、意志の強い、逆行に戦える女性のイメージに変わりました。

しなやかな美しさはそのままに、内面はしっかり者となりました。

結婚を機に長く一緒に住んでいた親元を離れたこと、作品で母性的な女性を演じることが増えたことなどが、当時30代の吉永さんの頼もしさに繋がったとされています。

吉永小百合と渡哲也の熱愛。別れた理由は親の反対。破局のショックで一人旅&結婚

10代から20代にかけての吉永小百合さんは清純派女優というポジションを守り、長く清楚なイメージを保ちました。

ちょいちょい俳優さんと噂になることはありましたが、その噂はいずれも長く続きませんでした。

しかし、ある時期に俳優の渡哲也さんとの共演が続くと、吉永小百合さんと熱愛が噂され、本人らもそれを否定しませんでした。

初共演は21歳の頃の映画「愛と死の記録」で、その後に「青春の海」「嵐の勇者」と続けて共演し、ファンも吉永さんと渡哲也さんのコンビを称賛しました。

撮影中も二人はラブラブで、スタッフの誰が見ても、二人が交際してることはバレバレだったそうです。

結婚秒読みだとされていましたが、1969年に吉永さんが24歳の頃に、二人は破局してしまいます。

破局の理由は事務所でも、忙しさゆえのすれ違いでもなく、吉永さんと渡さんの”両親”でありました。

渡哲也と吉永小百合が別れた理由は父と母の猛反対。家族とは不仲に・・・

誰から見てもお似合いのカップルであった吉永小百合さんと渡哲也さん。

二人の結婚は国民の期待でもありました。

しかし、1969年の吉永さんが24歳の頃に、二人は破局を迎えます。

破局の理由は吉永小百合さんの母と父・吉永芳之さんの猛反対でありました。

正しくは、渡さんの両親も揃って、”互いの両親が反対した”ということ。

渡さんが実家に吉永さんを招いて両親に紹介した際、渡さんの両親は吉永さんの引退を希望

そして、当時は吉永さんのマネージャーだった父は、吉永さんが一家の大黒柱だったことから、

交際はいいが結婚はダメ

と大反対し、お母さんも、

結婚したら相手を絶対に許さない

と、なったのです。

渡さんは、

何で俺のところに飛び込んできてくれないんだ

と、親の言うことなんて気にせず結婚して欲しかったようですが、最終的に吉永さんが親を選んだという形となりました。

後に吉永さんは当時の状況を、

両親を説得できなかったんです。だから(渡と)直接会って、「あなたとは結婚できません」と伝えました。涙が止まりませんでした。それで別れたんです。

と振り返っています。

69年の暮れに、小百合は結婚をあきらめるため、パリへと傷心旅行に出発したと言います。

渡哲也さんは吉永さんと破局した2年後の1971年に、同じ青山学院大学の同級生・俊子さんという一般女性と結婚。

当時の吉永さんはメンタルに絶大なダメージを負い、声も出なくなる状況になりましたが、この時に現在の夫である岡田太郎さんに出会い支えられます。

吉永小百合と旦那・岡田太郎。映画が子供?現在までの病気と年齢

渡哲也さんと破局し、その後に傷心旅行にパリに旅立った吉永小百合さん。

その後に仕事の忙しさも重なり、声が出なくなるような症状に陥ってしまったそうです。

そんな頃に出会ったのが、当時フジテレビのプロデューサーをしていた岡田太郎さんです。

辛い時期にいた吉永小百合さんに岡田太郎さんは、

声が出なくても一生懸命やれば見る人はわかってくれるよ」

優しい言葉を投げかけたそうです。

吉永さんは当時のことを、

いろんな治療法を勧めてくれて、声を取り戻しました。自分を愛してくれている、という思いが膨らんでいった

と回想し、自分には岡田さんの存在が必要だと感じたそうです。

交際が始まると、吉永さんはマネージャーで父である芳之さんに”仕事の打ち合わせがある”と嘘をつき、岡田さんが勤めていたフジテレビ近辺の飲食店やホテルでデートを重ねたそうです。

1986年の9月には週刊誌に車で二人でいる所をキャッチされていました。

次第に結婚を意識し始めたのは吉永さんの方で、当時の岡田さんはすでにバツイチで結婚について「結婚は大変だよ」と「女優は独身の方が有利だから、このままでいい」と積極的ではなかったそうです。

結婚に関しては15歳も歳が上ということ、バツイチということで猛反対されたそうです。

反対を押し切って岡田太郎と結婚!吉永と両親とは不仲に?

家族や周囲の反対を押し切って岡田太郎さんと結婚した吉永小百合さん。

結婚式は岡田さんと同期入社の、千秋与四夫(せんしゅう よしお)さんの家で、5人だけ招待してささやかなに行ったそうです。

この結婚で両親と吉永さんの仲は険悪になってしまったそうです。

吉永さんは結婚した時のことを、

親が常に私の後にぴったりとくっついていて、私にいろいろ期待して、娘を守ってきたというか、溺愛されていたんですね、父にも母にも。それが苦しくて。(中略)だから結婚することで家を出て、名前を変えることで親から離れようと思いました。

結婚相手は誰でもよかった

両親からの逃避行に必死だったの

と話しており、キラキラしたお嫁さんになりたいとかではなく、早く親から自立したい想いが強かったことを明かしています。

ちなみに吉永さんの母である和枝さんは、1976年にエッセイ「母だから女だから」を出版し、そこで娘を奪った岡田さんへの憎しみを綴っていました。

吉永小百合と夫・岡田太郎の間に子供はいない?

吉永小百合さんは28歳で結婚してすぐに”普通の生活が送りたい”と女優活動を休止します。

当時、世間では「妊娠?」「こっそりと子供を育ててる?」など言われていました。

世間に公表してないだけで、実は子供がいるかもしれないという噂は、結婚した後の数年間は続きました。

しかし、その後も子供に纏わる報道は皆無で、本当に子供を産んでないことが明らかになりました。

吉永さんが女優業を休業したのは、公表通りにお料理の勉強などをして普通の主婦になる為でした。

吉永さんは夫である岡田太郎さんと、子供を作らない約束をしているそうです。

子供を作らない理由としては、

映画と一緒に自然に年を重ねていけたらいい。映画たちは私の子供です。」

と発言したこともあり、女優として生き様を優先し、自分の作品に愛情の比重を我が子のようにかけているそうです。

旦那・岡田太郎の現在。病気(癌)で死にかけた?自宅はバリアフリー

15歳年上の岡田太郎さんと結婚した吉永小百合さん。

死別する際は、岡田太郎さんの方が先になる可能性が高いです。

そんな将来を見据えて、夫の岡田さんが高齢に差し掛かった時期に、バリアフリーの自宅を購入し、また別に吉永さんの趣味を優先した自宅も購入されたそうです。

夫の岡田太郎さんは2014年の夏頃に肝臓の病気で危篤状態に陥ったとニュースになりました。

夫は無事に退院したそうですが、退院後に夫はバリアフリーの自宅、吉永さんは自分の趣味を優先して購入した自宅で暮らすという、ちょっとした別居状態だったそうです。

ちょっとの期間の別居を終えて、現在は二人で仲良く同じ屋根の下で暮らしているそうです。

岡田さんは小百合さんの手料理が日々の楽しみのようです。特にかつお出汁の味噌汁が欠かせないそう。それから小百合さんは酒の肴が得意で、例えば、いただき物のカラスミでも、手作りの梅酢につけたり、一手間をかけるようです。

結婚直後の休業(料理修行)が功を奏して、吉永さんの手料理で夫婦円満が続いてるそうです。

 

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