2004年に世間を震撼させた長崎県佐世保市で起きた小学生による大事件。
「佐世保小6女児同級生殺害事件」と呼ばれ、現在までにネット上でも頻繁に語り継がれています。
この事件の加害者であった女の子は当時からネットで注目を浴び、施設に入って出所した現在まで多くの憶測があります。
”名前が変わった”
”相変わらず可愛い”
”結婚してる”
”多発性骨髄腫を患っている”
など、彼女の現在については多くの噂が流れています。
今日は、今の時点でわかっている「佐世保小6女児同級生殺害事件」の加害者少女の噂について整理してみたいと思います。
また、事件の詳細や背景などもまとめてみたいと思います。
加害者・辻菜摘はオカルト好きなパソコン少女。父母は忙しく孤独な環境
2004年の「佐世保小6女児同級生殺害事件」の加害者は、当時すぐに本名が「辻菜摘」だと特定されました。
ネット上では辻菜摘さんの写真が流出しました。
流出した写真で辻菜摘さんが「ネバダ」と書かれたトレーナーを着ていたことで、ネット上では「ネバダたん」と呼ばれるようになったのです。
辻菜摘さんが生まれ育った環境は、長崎県佐世保市の山の方で、かなり閉鎖的で孤独な育ちであったことが分かっています。
名前 | 辻菜摘 |
あだ名 | ネバダたん |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
生年月日 | 1993年 |
家族構成 | 父・母・姉・祖母。 |
小学校 | 佐世保市立大久保小学校 |
特技 | ミニバスケチームに所属 |
趣味 | パソコン。オカルト。アニメ。 |
父と母は仕事に忙しく構ってもらえず。山地で近所に友達がいない孤独な環境で育つ
辻菜摘さんが事件当時まで住んでた実家は長崎県佐世保市内の山間部にありました。
同居していた家族は祖母や両親に加えて、歳の離れた姉(事件当時商業高校に通う)の5人でした。
住んでた家は弓張岳頂上付近の小さな集落内にあり、近所に同年代の子供などはいませんでした。
通っていた大久保小学校には路線バスを利用しており、父親からはバスの時間に乗り遅れないように言われ、放課後に友達と遊ぶことも出来ない環境でした。
父は生命保険会社のサラリーマンでしたが、1995年頃に脳梗塞で倒れ寝たきり状況に。
父が倒れた頃、母親はパートに働きに出て家計を支えるなどしていました。
父はリハビリの末に社会復帰し、自宅で保険代理店を営み、更に”おしぼり配達のアルバイト”を副業にし、忙しいながらも必死に家計を支えました。
両親→仕事に忙しい、姉→歳が離れ過ぎている、近所→友達がいない、という孤独な環境だったことが分かります。
事件後に面談した児童相談所の職員から、”内向的で自己主張が苦手な少女”との評され、孤独な環境からコミュニケーション能力が発達しなかったことが原因とされています。
辻菜摘の特技はパソコンでオカルト趣味にハマる
父のリハビリ&復帰後は、両親がバタバタで寂しい時間も増えました。
孤立してる辻菜摘さんの姿を見かねた父は、娘に当時高額だったパソコンを買い与えました。
辻菜摘さんはパソコンを買い与えられると、ネットサーフィンにハマり次第に”オカルト系”のサイトがブームとなりました。
絵やアニメも好きで、典型的なインドア系少女となったのです。
後の被害者とのトラブルの発端がネット上の書き込みであったり、被害者への犯行方法がサスペンスドラマの真似事であったり、この時期に覚えたパソコンとオカルト趣味は事件に大いに影響を与えていたとされています。
バスケチームで被害者・御手洗と知り合う。強制退部で素行が悪くなる
長く孤立していた辻菜摘さんですが、2003年4月に同級生らが集うミニバスケチームに自主的に入部しました。
両親からは成績が悪くなったら退部するという約束に元で、ミニバスケチームに所属したのです。
そのチームで、後に揉め事を起こし事件の被害者となる御手洗怜美さんとチームメイトになるのです。
辻菜摘さんは練習を休めずに真面目に取り組み、レギュラークラスにはなりませんでしたが以前よりも活発になったそうです。
しかし、2004年2月に母親にミニバスケチ-ムを強制退部させられしまうのです。
事件後の取材で辻菜摘さんが成績を落としたような情報は出てこず、なぜ母親に退部させられたのか不明です。
退部させられた直後から、辻菜摘さんは学校で男子を追いかけて叩いたり、ストレートパーマをかけたり、以前と違ってやんちゃな女の子になったそうです。
当時の辻さんのクラスは学級崩壊しており、先生たちは辻さんの些細な変化に構うことはできなかったそうです。
「佐世保小6女児同級生殺害事件」の原因はコミュサイトと交換日記?被害者・御手洗怜美は父子家庭の4人家族
「佐世保小6女児同級生殺害事件」の被害者となってしまった御手洗怜美さん。
2002年に長崎市から佐世保市に引っ越してきたばかりでした。
母親の直美さんは引っ越す前の2001年に5年の闘病生活を経て癌で亡くなりました。
家族は父と2人の兄貴と怜美さんの、男3女1の4人で父子家庭のような家庭環境でした。
父・恭二 | 毎日新聞長崎支局に勤務 |
長男 | 徳島大学在学中 |
次男 | 詳細不明 |
玲美さん | 佐世保市立大久保小学校在学 |
母親・直美 | 2001年頃に癌で死去 |
長男は徳島大学に在学中だったため、一緒には住んでいませんでした。
父の恭二さんは毎日新聞に勤務しており、2002年に長崎支局から佐世保支局に転勤し、毎日新聞社佐世保支局の入ったビルに家族と共に入居して暮らしていたのです。
4人の社員が勤務するだけの小規模な事業所であり、3階建てビルの2階部分が佐世保支局のオフィス、3階部分が御手洗家の住宅という作りでした。
父は人望のある方で、頻繁に部下を自宅に招き、一緒に食事をするなどし、家族と社員らは身内同然だったそうです。
怜美さんは人懐っこい性格で、社員らにも我が娘のように可愛がられていたようです。
バスケで辻菜摘と被害者・御手洗怜美が繋がるも不仲。ネットや交換日記で揉める
被害者の御手洗玲美さんと加害者の辻菜摘さんは、辻さんが2003年に入部したミニバスケチームで繋がりを持ちます。
同じチームメイトになった2人ですが、当時から2人きりで遊ぶような友人関係ではなく、2人の間にも別の共通の友達が何人かいるだけでした。
2人の不仲が始まったのは、2004年3月頃です。
友人グループ内で始めたコミュニケーションサイト「カフェスタ」と”交換日記”の中で、御手洗さんと辻菜摘さんの因縁が始まったのです。
グループ内での交換日記では、辻菜摘さんが文章終わりに「NEXT 〇〇(仲間の名前)」と締めるのが流行しますが、辻菜摘さんは他の人に使われるのを嫌がります。
2004年5月上旬(事件の前月)に辻菜摘さんが「next」の使い方の真似を辞めてほしいと主張すると、多くの友人らは「ごめんね」と自重しますが、御手洗玲美さんだけは、
「NEXTはみんなが使える表現ではないの? 絵文字ではないし、英語だからパクリではないような気がする。みんながやっていれば、当たり前になるのでは?」
と反論し、これが辻菜摘さんとの因縁を深めました。
その後、辻菜摘さんは友人間で流行していた「カフェスタ」というコミニュティサイトで御手洗さんに対して陰険な嫌がらせを始めます。
元々、パスワードを教え合っていた関係で、菜摘さんは玲美さんのアバターの頭をかぼちゃに変えるなどのイタズラを開始。
それに対して御手洗さんも負けじと、
「チッマタカヨ。なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。 アノ人もこりないねぇ。(゜∀゜)ケケケ」
「荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。心当たりがあるならでてくればイイし。 ほっとけばいいや。ネ。 ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイvじゃまた今度更新しようカナ。」
と投稿し、辻さんに対して”バレてるよ”と圧力をかけました。
このような攻防の後、菜摘さんは玲美さんのHPを初期化するという攻撃を仕掛けたのです。
HPを初期化された御手洗さんは精神的に参り、その後(事件2日前の5月30日)に引っ越す前の友達に手紙を書いて相談するなどしました。
6月1日に事件発生。辻菜摘が御手洗さんを襲う。
2004年6月1日に御手洗玲美さんは同級生の辻菜摘さんの手によって明るい未来を奪われてしまいました。
辻菜摘さんは御手洗玲美さんを学習ルームに呼び出し、カーテンで部屋を真っ暗な状態にして、手で目隠しをして犯行に及びました。
御手洗玲美さんは首と左手をカッターで傷つけた後、辻菜摘は血まみれの服で凶器を手にしたまま自分の教室に戻り、担任に助けを求め事件が発覚しました。
事件後、辻菜摘さんが事件の前日の5月31日に放送された「ホステス探偵危機一髪」内のシーンを真似し犯行に及んでていたことが明らかになりました。
作品は第6シリーズまで作られた人気SPドラマでしたが、「佐世保小6女児同級生殺害事件」の影響で続編が出ることはありませんでした。
御手洗玲美さん家族にその後。事件後に引っ越し現在も後悔の念を抱く
2004年6月1日に起きた衝撃の事件。
御手洗玲美さん家族のその後は、取材などで明らかになっています。
父・恭二さんは娘が抱えていたトラブルに気が付かなったことに自責の念を抱き苦しみ続けています
次男は事件の2日前に辻さんとのトラブルの相談を乗っていたということで、
「あの時自分がもっと積極的に動いていれば妹を助けられたかもしれない」
と、責任を感じ、自分も妹の場所に向かおうと、後追いを考えたこともあったそうです。
事件後の一家は父の転勤で佐世保から福岡に移住しました。
次男は2005年から高校に進学しましたが、妹に対する罪悪感から精神が乱れ、保健室登校となり出席日数が足りなくなるなど留年の危機もあったそうです。
次男は九州の大学に進学しましたが、社会人になった後も妹への罪悪感から結婚をする気が起きないなど、大人になった今も後悔の念が残っているようです。
辻菜摘の事件後。国立きぬ川学院で模範生も遺族への手紙は無し。精神病の疑い
辻菜摘さんは事件後、栃木県にある少年院「国立きぬ川学院」に送られました。
院での辻菜摘さんは素直で真面目な模範性でした。
内向的な一面はあるものの集団行動は問題なく、あのような犯行に及んだことが不思議なぐらいでした。
ただ、小学生にして親元を離れているにも関わらず、ホームシックになる様子はなく、とても冷静だったそうです。
親が面会に訪れても泣いたりする様子もなくクールに振る舞っていたそうです。
これらの行動から、何か精神的な病気を患っていたのでは?と疑われました。
辻菜摘にアスペルガー症候群の疑い?精神的遅れを指摘されていた。遺族への手紙はなし
12歳にして親元を離れても平然としていた辻菜摘さん。
精神的な部分で異常があるとされましたが、送致前に行われた3ケ月に及ぶ精神鑑定では情緒面の遅れが確認されましたが、障害と呼べる性質のものではなかったとのことです。
一方で、入院後にカウンセリングを担当していた精神科医から、「アスペルガー症候群」との診断が下っていたとの噂もあります。
「国立きぬ川学院」入所中に遺族へ謝罪の手紙を書くことが一度もないなど、愛情や罪悪感の欠落が疑われました。
いずれにせよ、専門家がハッキリと断言できるほど酷い病気はなかったということです。
辻菜摘の現在。可愛い写真はガセ?改名や結婚、多発性骨髄腫の噂。父母の消息は不明
辻菜摘さんの家族は、事件後にバラバラになったと噂されていました。
姉は通っていた商業高校を中退し、母と共に辻さんが入所した”国立きぬ川学院”のある栃木県に引っ越したそう。
父は嫁と長女が引っ越した後も地元に残り、しばらく佐世保市内で暮らし続けていたそうですが、現在は父の消息を知る人もいない状況です。
すでに離婚していることが濃厚で、その後は亡くなっている可能性もあるとのことです。
夫婦は事件後に毎月遺族へ謝罪の手紙を書いていましたが、辻菜摘さんが2008年春に少年院を退所して以降、遺族への謝罪の手紙が途絶えました。
辻菜摘の現在の姿の写真が流出?可愛い説濃厚。改名後に安倍希望?結婚し特定が難しい噂
辻菜摘さんは事件が起きた当初から、ネット上で「可愛い」との声がありました。
学校で撮影された写真が流出したことで、ネット上に隠れファンのような方が多く登場しました。
2008年には施設を出て社会復帰しているということで、現在の彼女がどこに住んでどんな仕事をしているのか、強い関心が抱かれているのです。
退所後の辻菜摘さんについては、社会復帰を阻害する要因を取り除くとの名目により、一切の個人情報が隠匿されています。
現在の辻菜摘の近況は御手洗さんの遺族ですら不明だそうです。
ネット上ではコンスタントに辻菜摘さんの目撃情報や、SNSで発見したとの報告があります。
実家のあった長崎県で”辻菜摘”と同姓同名の若い女性を発見したとの情報もありましたが、辻菜摘さんは出所後は改名して生活を送ってる可能性が高く、その女性は別人だと言われてます。
過去何度も辻菜摘と疑われる写真が拡散されましたが、いずれも本人かどうかわかっていません。
彼女のコスプレやコラのような写真がネット上に多く流出し、どれが本当の彼女なのかわかりませんし、全てガセネタの可能性も高いです。
法務省関係者と養子縁組をして名前が変わり”安倍希美”という名前に改名してるという噂もありました。
令和になってからは、”結婚しさらに苗字が変更され特定が不可能”だと言われています。