いくつになっても変わらないパフォーマンスで約半世紀の間ファンを熱狂させる生ける伝説・矢沢永吉さん。

矢沢永吉さんの長いキャリアを振り返ると、当然波瀾万丈で辛いことや悲しいことの山です。

貧困時代の結婚生活、家庭崩壊、不倫、巨額の借金など、現代のミュージシャンでは乗り越えようのない大山をいくつも乗り越えた哲人であります。

そんな山あり谷ありな経歴を持つ矢沢永吉さんですが、振り返ってみると前の嫁・すみ子さんと、現在の嫁・マリアさんとの間に合計6人の子供が生まれていました。

結婚や不倫、再婚など色々ありましたが、どの子供も矢沢さんなりに最後まで面倒を見ていた印象です。

今日は、矢沢永吉さんの6人の子供についてわかっていることの範囲で、噂も含めてまとめてみたいと思います。

矢沢永吉は前嫁・すみ子の間に長男・栄一郎/次男・寛十郎/長女・綾子の3人の子供

矢沢永吉さんの初婚は1972年です。

ヤマトというバンドで横浜の「グルッぺ」というディスコで歌っていた際に、お客さんで来た3歳年下のすみ子さんに一目惚れし、その日のうちに結婚を前提に交際を申し込み、同年中には入籍を果たしました。

第一子が誕生した正確な時期は不明ですが、当時はまだキャロルで歌っていた時代だったということで、1972年の入籍した年からキャロルが解散した1975年の3年間の間に第一子は生まれています。

第一子から続けて、第二子、第三子が順調に誕生しました。

第一子・長男 栄一郎 母親・すみ子
第二子・次男 寛十郎 母親・すみ子
第三子・長女 綾子 母親・すみ子

一人目と二人目が男の子だったということで、3人目が女の子だと知ると、矢沢さんはすごく嬉しかったそうです。

「長男の栄一郎、次男の寛十郎の時も嬉しかった。でも、娘って聞いた時、異常に嬉しかった。何でだろう?娘抱いてさ、俺、いったよ。『お前は今日から矢沢家の一員だ』って」

これほどにも嫁さんと子供のことを考えていたと考えると、その後に離れ離れになる運命が、より酷に感じます。

矢沢永吉と元嫁・すみ子と子供3人の現在。川崎での貧困時代が一番幸せだった?

矢沢さんはソロ活動が軌道に乗ると、仕事を家に持ち込むようになり、仕事に行く時間や帰る時間が不規則になりました。

その時期から嫁のすみ子さんが”仕事を持ち帰る男なんて”や”朝働きに出て6時に帰る旦那が良い”と不満が出てしまったそうです。

矢沢永吉さんとすみ子さんが離婚したのは1989年ですが、矢沢さんがすみ子さんと3人の子供のいる家に帰らなくなったのは、もっと前の時期でありました。

不倫相手で現在嫁のマリアさんとの馴れ初めが1977年頃なので、少なくともその時期には夫婦関係は悪化していたとされています。

その後にインタビューで矢沢永吉さんは川崎で家族で肩を寄せ合って暮らしてた時代が自分の全盛期だと語っていました。

「できれば、ぼくは何度も何度も戻りたいと思った。 いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいたとき、 すごい人間らしさがあったねキャロルをつくる前に女房とふたりで アパートに住んでいてね。どさんこラーメンに行くのが 唯一の楽しみで…それで浮島というところが川崎にあってね そこへ二人でボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。 その時に長男がお腹に入っていたね。あの時代…。 この前も女房と話してたんですけど、あの時代が結婚して 最高の時だったね。悲しい話だけど…。」

矢沢さんが家を出てしまった後の嫁さんと3人の子供ですが、実はその後も関係を断たずに交流を続けていました。

ポルシェ3台分と言われる巨額の慰謝料を払って離婚で、不倫相手のマリアさんと再婚した後も、すみ子さんを矢沢永吉さんの関連会社の役員にしてあげてたそうです。

また長男か次男を矢沢永吉のコンサート映像を販売する会社に就職させたそうです。

長女の綾子さんは歯科医になったとの噂があります。歯科医になったのが事実かは不明でありますが、しっかりと学費を払い、教養を与えていたことは確かです。

矢沢永吉と現在の嫁・マリアとの子供。娘・洋子以外の名前。長男・優輔と次男・大輔?

矢沢永吉さんはすみ子さんと離婚する前に、当時は不倫相手であったマリアさんとの間に娘が誕生してます。

当時の矢沢さんの心境としては、

「東京に帰ってきて初めて抱いた時に思った。ああ、よく生まれてきてくれたと。その時、いましばらくは大変な思いをさせるけど、必ず矢沢の姓にさせるからと思ったよ」

とのこと。

不倫相手との子供が生まれることに対する恐怖など色々あったそうですが、いざ娘を抱っこした際には、どんなことをしてても、この子を守らないといけないと感じたそうです。

第一子の娘の洋子さんは現在は歌手として活躍しており、幾度も父と共演してるので世間の方々も知っていますね!

マリアさんはアメリカのクォーターなので、子供は全員アメリカの血が混じってることになりますね!

長女 洋子 母・マリア
長男 優輔?(噂) 母・マリア
次男 大輔?(噂) 母・マリア

1985年にマリアさんとの間に1人目の子供が生まれたのは知られてますが、その後に生まれた2人に関しては情報が少ないですね。

矢沢永吉さんは1989年に前嫁と離婚し、翌年の1990年にマリアさんと再婚してます。

再婚した後は海外で暮らしたりしているので、当時はプライパシーが守られ、子宝の情報もシャットダウンされました。

それでもマリアさんとの間の長男と次男は早稲田や慶應の名門大学を卒業して、現在は良い仕事をしてるそうです。

芸能人の子供でもやりたい放題やらせずに、しっかりと地に足をつけて常識を学ばせたそうです。

洋子さん曰く、

矢沢永吉の娘という看板がついている限り、どこで誰に見られているかもわからない。だから、基本的な礼儀や挨拶にはすごく厳しかったと思います。

とのことです。

さすがですね!

娘・洋子が明かす家での矢沢永吉の父親ぶり

過去に娘の洋子さんが父親としての矢沢永吉さんについて語ったことがありました。

基本的には家でもスター矢沢そのままだそうです。

しかし、お金には厳しく、小遣いは5000円しかもらえず、何度も買ってもらえるような家庭ではなかったそうです。

休日は自転車の乗り方を教えてもらったり、かっこいいクルマや船に乗せてもらったりしていましたね。

休日にはかっこいい車に乗せてくれたり、良い思いをさせてもらえたそうですが、学生時代は遊ぶお金は、父の意向で自分でバイトをして稼がないといけなかったそうです。

働いて飲食店に父が訪問してくれたこともあり、電話番のバイトをしていたときは父から電話があったこともあったそうです。

アメリカの高校って夏休みが3カ月くらいあったので、家族で日本に一時帰国していたんです。そのとき、短期アルバイトとして目黒駅前の飲食店で働いていて、そこに父が来店しました。

バイトを推奨してるわりには、かなり心配していたみたいですね。

父のスキャンダルに振り回されても嫌いになれない

ちなみに洋子さんは12歳から18歳までをアメリカのロサンゼルスで過ごしてます。

日本では矢沢永吉さんは巨額の借金で、不倫相手との結婚だったりと、週刊誌に追いかけられることが目に見えていたから、海外での生活をチョイスしていたそうです。

私が12歳のときに一家でアメリカのロサンゼルスに引っ越したんですけど、アメリカってクルマがないと生活ができないんですよ。だから、父が学校までクルマで送ってくれることもありました。

子供からすれば日本とアメリカを行き来したり、色々と大変だったことでしょう。

それでも、娘・洋子さんは父を嫌だと思ったことが一度もなく、むしろ尊敬しているそうです。

少し昔は前嫁との不倫などの話で、私生活での矢沢永吉さんは酷い人のようなイメージがあった時期がありましたが、現在はむしろ6人の子供たちを大きくなるまでしっかりと面倒をみて素晴らしい人格であることが証明されています。

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