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金ピカ先生・佐藤忠志 死去。死因と今現在までの経歴・家族(嫁,子供)画像2019年の9月24日、予備校の元カリスマ英語講師であり、世間からは「金ピカ先生」の愛称で愛され、講師以外にもタレント活動もしていた佐藤忠志(さとう・ただし)さんが死去されました。

亡くなられた場所は都内の自宅です。

現在の佐藤さんは生活保護を受け、独り暮らしでした。

関係者に話ではデイケアセンターの職員が佐藤さんの自宅を訪問したところ、冷たくなっている佐藤さんを発見したそうです。

金ピカ先生・佐藤忠志の死因は不明?病気や持病は?

2019年9月25日現在、佐藤忠志さんの死因は明らかになっていません。

何か病気をしていたの、持病があったのか・・・。

過去には心筋梗塞などの病気をしていたそうですが。

「脳梗塞を2度やりました。あと、心筋梗塞も。最初の時は3時間の開頭手術でした。脳外科の教授が私の教え子で、先生を殺しちゃいけないと思って、メス、震えましたって。心筋梗塞ではステントいれました」

入院もせず、自宅にいたということで、直前まで普通に生活されてたのでしょうか?

68歳と高齢であるため、何かしらの病気はあったとは思いますが・・・。

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金ピカ先生の・今現在の生活(嫁と離婚し独身)

68歳で亡くなられた佐藤忠志さんですが、実はまだ独身でした。

長年連れ添った愛妻がいましたが、2017年に夫婦喧嘩が原因で家を飛び出してしまったそう。

あれから籍を抜いたということになりますね。本人は嫁が嘘の110をして警察を呼んだと語っていますが。

そして、全盛期は年収2億はあった佐藤忠志さんですが、現在では生活保護を受けていることがわかりました。

厚生年金もあると思うのですが、なぜ生活保護だったのか・・・。若くして稼いで収めなくなってしまったのか・・・・。

佐藤忠志さんは自らの生活について、

「隠居。生きる屍(しかばね)ですよ」と表現していました。

「最近ですか? 隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。政治? まったくです。関心ないです。そんな元気ないです」

自虐的ではありますが、そういう部分にカリスマ性がありました。

現在までに佐藤忠志さんは朝から酒をあおるなど、不摂生を続けていたそうです。

佐藤忠志さん本人は最近、これまでの自分の人生を「バラ色」とも語っていました。

佐藤忠志の経歴。全盛期は年収2億円!

佐藤さんの全盛期は自らの出版書が売れまくり、さらにはテレビ出演も多かった若き日々です。

本人は、

「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。2000万近かったんじゃないですか。(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」

と語っています。

・1977年に代々木ゼミナール講師となりました。当時にして独特の任侠風の風貌と個性的な教授法。そして「金ピカ先生」という愛称で一世を風靡、旺文社大学受験ラジオ講座も担当しました。

・1988年に東進ハイスクールへ移籍、さらにタレント活動にも進出し、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』などに出演し、当時大きな話題を呼びました。

・1992年に予備校講師を引退、その後はおもにタレントや評論活動に重きをおいて活動。

・2001年、第19回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬したが、落選しています。

・2009年1月、現職の長野力が再選を目指していた鹿児島県西之表市長(種子島)選挙に告示3日前になって無所属で立候補することを表明、佐藤は東京在住で、立候補に際して初めて種子島を訪問しました。

・届出名を「金ピカ先生」として市選挙管理委員会に届出をおこない、市選管は「この通称(通名)が広く使用されていることを確認した」としてこれを受理、記者会見では「教育水準を日本一にしたい。

・役所で中高生に無料で授業をする」と公約し「金ピカ先生」の名前で選挙活動をおこなったが落選しました。得票は長野が8,674票、佐藤が2,787票。投票率82.35%。

・晩年は生活保護を受けるなどの生活を続けていたが、2019年9月24日朝、デイケアセンターの職員が佐藤の自宅を訪問したところ、死んでいる佐藤を発見されました。享年68歳。

予備校講師としての佐藤忠志さん

佐藤忠志さんは一般にはその外見やマスコミへの露出からきわもの扱いされがちでした。

しかし、1986年の時点で『ズバリ!合格の英単語』、1987年には『ズバリ!合格の英熟語』、『ズバリ!合格の英文解釈』を刊行し、当時にして現代の大学入試英語の時事英語化にいち早く対応していたのです。

色物ではありましたが、日本の未来を見据えた教育スタイルに、多くのファンを抱えました。斜め上を行った先生にとってはカリスマ的な存在だったことでしょう。

1989年の『金ピカ先生の総仕上げ時事英単語集』では「教科書には決してでてこないが、入試にはでてくる最新の単語を網羅していました」と豪語。

実際にその単語集は英語に強い大学を受けるには最強の単語集として当時は話題になりました。

横浜を中心に生徒を多く抱え、当時は生徒が多すぎて苦情が来ていたそうです。

 

佐藤忠志さんの死去に対する反応

・好きなこと出来て、本人は悔いのない人生だったんじゃないでしょうかね。
・人気予備校講師の先駆けだったのに、なんでこんな寂しい最後に。予備校もテレビも相当稼いだんじゃないかな?上手なお金の使い方をしていれば、面倒を見てくれる人がいくらでもいただろうに。全盛期に笑うのがいいのか、最後に笑うのがいいのか、どちらがいいのだろう?色々考えさせられるな。
・自分が高校生の頃はカリスマ予備校講師だったな。
ド派手な格好でバイタリティー溢れる人だっただけに、自業自得とは言え晩年の凋落が哀しい。
アラフィフぐらいの世代には佐藤先生に直接・間接的にお世話になった人も多いと思うから、十分に社会貢献は果たしたと思う。
・愛車もあって生活保護??そんなに困ってるように見えないし、厚生年金だってかけてただろうに良くわからん。

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