2010年まで地上波で放送された大家族シリーズ「坪井家」。
放送当時は高視聴率を記録し、一生懸命な子供達を応援する声が多くありました。
今日は、当時人気あった「坪井家」について書いてみたいと思います。
良いキャラであった両親と連れ子であった長女と長男、そして亡くなった九女の美波ちゃんについて書いてみたいです。
坪井家の子供一覧。名前と年齢。女9男3の大家族!
年齢は最後に放送があった2010年当時のものです。
最年長の長女が1982年生まれで、一番下の九女が2005年生まれと、一番上と下で22歳の年齢差があります。
父 | 龍典 | 1955年生まれの55歳 |
母 | 静子 | 1958年生まれの48歳 |
長女 | 亜夕子 | 1982年生まれの28歳 |
長男 | 典之 | 1987年生まれの23歳 |
次男 | 典太 | 1989年生まれの21歳 |
次女 | 桃子 | 1991年生まれの19歳 |
三女 | さくら | 1992年生まれの18歳 |
四女 | 静流 | 1993年生まれの17歳 |
五女 | 未来 | 1995年生まれの15歳 |
六女 | 華梨子 | 1996年生まれの14歳 |
三男 | 龍太 | 1999年生まれの11歳 |
七女 | 七海 | 2000年生まれの10歳 |
八女 | 千春 | 2001年生まれの9歳 |
九女 | 美波 | 生きていれば6歳(享年1歳) |
父・龍典と母・静子は再婚。長女・亜夕子と長男・典之は連れ子
坪井の父・龍典さんと母・静子さんは初婚ではなく、お互いに再婚です。
1980年代の後半に2人は再婚し、長男の亜夕子さんと長男の典之さんは母側の連れ子でした。
再婚後に、10人の子供が誕生したということになります。
インパクト抜群な坪井家の父・龍典と母・静子。現在は離婚
坪井家が放送された2000年代は多くの大家族シリーズが存在していましたが、坪井家はその中でも高視聴率をキープしていました。
視聴率が良かった理由としては、父・龍典さんと母・静子さんの大胆な生き方です。
龍典さんと静子さんと再婚後に10人の子供が生まれていますが、月収は家族合わせて40万程度で、家計は火の車でした。
子供に「これ以上が子供が増えたら大変」と気を使われ、避妊具をプレゼントされる一幕もありました。
家計が苦しくても龍典さんはお酒が大好きで、放送の中でもお酒を嗜むシーンが多く放送されたり、静子さんはヘビースモーカーでした。
坪井家の父と母はすでに離婚?龍典の借金と酒癖が原因か
2010年で放送が打ち切られた坪井家のシリーズですが、その理由に”父と母が離婚”したとの噂がありました。
噂の発端は、2010年最後の放送の中で、母・静子さんが「もう離婚したい」と発言していたことです。
事実、父・龍典さんは過去に弟の借金の連帯保証人になり、蒸発され、多額の借金を背負う身となっており、生活は困窮していました。
また、父の龍典さんは普段は温厚で優しい性格ですが、お酒が入ると横柄で怖い雰囲気に変わり、家庭内でもお酒が発端のいざこざがありました。
放送が打ち切りになった理由については、他にも龍典さんが悪い事件に巻き込まれたなどの都市伝説も存在します。
連れ子である長男・典之と長女・あゆこはネグレクトを受けていた?
1980年の後半頃に再婚した父・龍典さんと母・静子さん。
坪井家の長男の典之さんと長女のあゆこさんは静子さんの前の夫との子供で、2人にとって坪井家の父・龍典さんは義父です。
坪井家のシリーズ全体で、連れ子である典之さんとあゆこさんへの仕打ちが酷いと話題になっていました。
まず、長女のあゆこさんですが、放送当時にして20歳を超える成人で、日々アルバイトに励んでいました。
あゆこさんは大人の女性なのにも関わらず、バイトの給料の多くを両親に取られ、好きな物が何も買えずに我慢させられていました。
ある時に、あゆこさんが家を出て自立したいと両親に告げると、母親の静子さんが激怒。
母親に理不尽なことを言われながら、何度も叩かれたのです。
あまりの光景に、当時番組を見ていた視聴者からは同情の声が集まっていました。
長男の典之は進学希望も阻止。高校を断念し日給500円で父の元で働く
自立を妨げられた長女も気の毒ですが、長男の典之さんも同じぐらいハードな境遇に遭いました。
長男が中学を卒業し、高校進学を希望した際、なんと父の龍典さんは「親孝行という名の高校に行け」と高校進学を阻止。
そして、龍典さんが自分でやっていた鳶職に無理矢理就かせたのです。
また、長男は日給500円という安月給で働かされていたというのですから驚きです。
当時の長男はまだ未成年だったために、「これって虐待じゃないの?」と長男を心配する声が多く上がっていました。
長男は独立して会社を創立。社名に1歳で亡くなった九女・美波の名前を採用
親に高校進学を阻止され、義父の元で見習いとして働かされていた長男・典之さん。
2010年に放送が終わった後も、その後の長男のことを心配する視聴者が多くいました。
しかし、長男は放送終了後も鳶職に励み、その後に独立していたのです。
2001年3月 | 坂東市立猿島中学校卒業 |
2001年4月 | 坪井工業入社 |
2008年4月 | 坪井工業退社 |
2008年5月 | 美波工業創業 |
2019年6月 | 株式会社美波設立 |
2019年に32歳の若さで独立したということですが、両親の離婚などの背景を想像すると相当に苦労したことでしょう。
ちなみに独立するまでに次男の典太さんも協力し、典之さんのことを支えてくれたそうです。
2人で境遇を乗り越えたと考えると、尊敬したい気持ちになりますね!
自宅のお風呂で亡くなった九女・美波。供養したい想いから社名に
坪井家の放送の中で、あまり存在が知られていない子供がいます。
それは2005年に生まれた九女の美波ちゃんです。
実は美波ちゃんは1歳の頃に自宅のお風呂で事故に遭い、亡くなっていたのです。
亡くなった背景とし、母親と昼寝していた際、美波ちゃんが勝手に起き上がって一人で湯船に落ちたと説明されていました。(実際は小さい子供たちに世話を任せて事故したのでは?との都市伝説もあります)
僅か1歳で亡くなってしまった九女の美波さんですが、長男の典之さんは彼女のことを忘れたくない一心で、2019年に創業した会社の名前を「美波」にしたのです。
ネット上では、長男本人も可哀想な境遇を歩みながらも、妹を供養したいという男前すぎる行動が讃えられています。
今後も、当時からの視聴者の多くが長男の成功と、美波さんが安らかであることを祈ることでしょう。